世界宣教の日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで31年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

カトリックでは、10月の最後から2番目の日曜日は「世界宣教の日」と制定されている。

 

世界にはまだキリストを知らない人が沢山いるわけで、キリストを伝えることである宣教は、神の子ども、キリストの弟子となった私達皆に与えられている使命といわれている。

 

特別聖年の今年は、「世界宣教の日」公布からちょうど90年目にあたる。この日、全世界のカトリック教会では、世界各地の宣教活動のために特別に祈り、献金をし、犠牲が捧げられる。

また、「世界宣教の日」は、すべての人に宣教の心を呼び起こさせること、世界の福音化のために、霊的物的援助をはじめ宣教者たちの交流を各国の教会間で推進することを目的としている。この日の献金は、各国からヴァチカンに集められ、世界中の宣教地に援助金として送られる。日本の教会は、いまだに海外から多くの援助を受けているようだが、経済的に恵まれない国々の宣教活動をさらに支援できるように成長していかなくてはならない。 

 

ところで、ミラノでは前日の22日(土)からイベントとして若者のワークショップがドウモ広場近くで行われていた。私のオラトリオからも司祭を始めオラトリオの高校生たちが出かけていたが、PIMEと呼ばれるミラノ外国宣教会の若者たちを中心に、歌あり踊りあり、活動を通しての信仰の証しなどを発表した。

 

日曜日当日は、私のパロッキアではミサは11時15分からだが、9時半からカテキズモの子供達の集まりがあり、聖歌隊の練習、昼食会。午後からもゲームや焼き栗、ポテトフライ、サルシッチャ、バザーなどが行われ、そちらの収益金が宣教地の援助金となる。

 

話は前後するが、司祭にはその働きや所属に応じ、修道会司祭、宣教会司祭、教区司祭などの区別があるが、個人的見解からすると、やはり司祭も宣教として外国へ出ている方の方が、言語をはじめ、文化の違いなどにおけるご苦労をされている分、他者に対する思いは、深いように感じられる。

 

特にカトリック信者の少ない他宗教の国での活動をされている司祭の方々の物理的かつ精神的苦労などは、信仰に支えられているからこそできることで、また命を捧げる決意は信者でもそうそうできるものではない。

 

日本のカトリック人口は、人口比では約0.341%と僅少だ。だが、そのわずかの私達であるが、この「世界宣教の日」に、宣教について思いを馳せ、祈り、献金し、物的・精神的援助をすることによって、宣教地で苦労を重ねている宣教者のお手伝いができれば、と思う。

 

また、せっかくイタリアというヴァチカンのお膝元におり、教会離れの現在とはいえ、それでもキリスト教が根付いているイタリアの生活をしているからこそ、知り得ること、そして毎日触れている事柄は沢山ある。今後福音宣教として、福音の素晴らしさを何らかの形で紹介していけたら...と思う。

 

 

 

 

こちらは、世界の子供達、そして宣教者たちに思いを馳せた、ラウラ•パウズィーニの曲 ”Il mondo che vorrei".

 

 

 

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/mssn/16mssn.htm