来伊23年 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

ふと気がついたら既に過ぎていたのだが、先日10月15日は私の「来伊23年」の記念日(勝手に決めている!)だった。

 

23年前の9月30日に7年勤めた法律事務所を辞めた。やりがいのある職場だったし、仕事が好きだったから辞めてしまうのは、本当に惜しかった。イタリアに来て、主婦となり、時間の流れも全く違うローマの生活。初めの頃は、時間がありすぎて気が狂いそうだった。友達もいない、することもない、一人の時間が静かで長すぎる...今ならば、それなりに有効的に活用できるが、時間のある生活に慣れていなかったからしょっちゅうホームシックになったものだ。

 

子供ができるまでは、自分の健康面に問題もあり、日伊間を行ったり来たりし、日本にいる間、通院の合間に短期でアルバイトをしていた時期もあった。今思えばあの時は、実家に戻っていたし、時間に拘束されない一番気ままな時期だったように思われる。

 

その後は再びローマへ戻り、子供もでき、夫も脱サラ。山あり谷ありの生活の始まり始まり...とにかく、駐在員生活から脱サラ生活は、ジェットコースターに乗っているような激しい浮き沈み、左右に振り飛ばされるようなカーブ。ギエ〜〜〜ッ!!鳥肌が立っている暇もないくらい、そして胃があっちへいったりこっちへいったり...涙さえ出ず、それでいて思わず目をつぶって、少しだけでもなだらかなコースに入ってもらうことを祈る...そんな生活。(大げさか?!)

 

それでもこの20数年の写真をぼんやり見ていたら、子供達のあどけない笑顔を見て、こんな時期もあったんだっけ?と思ってしまう。特に子育ては常に必死で走ってきていたから(今も!)、幸せをかみしめている余裕がなかったことに気づく。子供が二人目、三人目となり、お手玉を投げているような生活。または、餅つきのつき手というか...苦笑。リズムがうまくいっている時は、うまく物事が回るが、一つ躓いたらそこでおしまいだ。それは、子供はもちろん、自分をはじめ、夫や両親の健康面、夫の仕事や日本、それこそ世界の景気の状態にもふりまわされてしまう。

 

あれよ、あれよとここまで来たもんだ。今ある自分は、家族や友人、そして私たちを取り巻く環境の良さ、いや強運だったのか?いずれにしても感謝なしでは進めない。

 

子供が大きくなったら、何かと楽になるか?と願っていたが、多分現在、そしてまだ数年は苦労する時期なのだろうと思う。打開策を考えても、どうしようもないこともある。性格によっては、ここで鬱になる人もいるかもしれない。しかも、どーんと思い更年期が来ようものならどうなってしまうのだろう?とはいえ、自分の母はほとんど更年期という更年期もなく軽く50代を過ごせたというから、自分もそうなることだろうとタカをくくっている。

 

自分の好奇心となかなか「ノー」と言えない(言わない?)性格で自分の首を絞めている部分もあるが、今は空手と信仰があることで強く生きていく覚悟はある。

 

3年前の来伊20周年の時にも、心に留めたことと同様、これからも人生を味わいたい。 何も考えず、何も計らず、無条件に行えるように。 そして、時にあわせて、時に伴い、起こっている出来事に合わせて生きられるように。時を読み取る目、気づく心、ふれる心を失わないようにしたいと確認。

 

神に感謝。

 

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11624869215.html