人間をつくる道 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

この秋、我が空手のイタリア本部に多くの若者が入会してきた。そのほとんどがイタリア人で、他流派から来た人もかなりいる。黒帯有段者も5人前後いるだろうか?

 

先日、日本人学校の体育館での稽古の際、2つのクラスが入れ替わる時間帯に、イタリア人の黒帯保持者で日本語もペラペラのMさんが全員を集めて、改めてなぜ空手をするのか?「空手をする意味」について話があった。

 

 

空手道の後につく「道•DO」。その「道」とつく日本の教え、例えば柔道、剣道、合気道、空手道...そして武道のみならず、「茶道」や「書道」などは、精神や心を鍛え、表現する。それは、日本人に取っても、ましてや外国人にとって難しいものなのだろうか?

 

まず、「学び」においては「規則」の上に成り立っている。これは空手道に限らず、すべてのことにおいて言えることだが、①遅刻しない。②決まった練習日には出席すること。③向上心を持って臨む。理由は言うまでもないが、多少の例外はあるものの、決めたことはきちんと守る。その方向に向かってベストを尽くす、それのみだろう、と思うが、そうなかなかできない人が多い。何を隠そう、一番聞かせたかった愚息たちは、長男は遅刻。次男は父親の出張にくっついて行ってしまったのだ。とほほ...

 

また、日本でやはり空手をしている弟に言わせれば、それは「当たり前」だというが、見学にきている保護者の態度も見逃せないポイントだという。稽古中の笑い声、ひそひそ話...気になってたまらなかったが、子供に言わせると、私が神経質すぎるのでは?という指摘があったが、やはりそれは子供の稽古の手前注意するよう促されたようだ。そりゃそうだろう。

 

その他、礼儀の一環として、道着は綺麗にアイロンがけをし準備をしてくる。その前の週では、道着の畳み方、そして帯の結び方の指導もあった。他流派から来た子は「教えてもらわなかった」と言ってたが、確かに、息子たちが以前いた道場でもそこまでは教えられていなかった。いずれにしても、「昨日の私たちの行いは今日に反映する」(言うこというな!M!!)道着は私たちのユニフォームであり、私たち自身を表している。もし、空手着が乱れていたら、心も乱れているということ。

 

毎回、練習が終わったら「今日は新しいことを学んだか?」自分に問いかける。前回注意されたことを直せたか?どこにどう心を傾け、稽古に臨むか?練習する意思をもつか否かによって、上達する時間もかなり異なってくることだろう。勉強とて同様。そして決して諦めない。

 

黒帯はゴールではなく、出発地点。私たちの道の中では目標が沢山出てくる。それぞれのレベルに目標があり、その目標に向けて努力をし達成する。そして再び新たな目標を設定する。...次のステップポイントは自分で決める。すべて自分次第。ここで、何をやりたいことか。何を知りたいか。すべて私たち次第なのだ、と強調された。私の中では一層、早く黒帯に近づきたい!と思ったのだが、それを友人に話したら、「黒幕でしょ?」と言われ、大笑いしてしまった。

 

ところで、イタリア人の母親たちの中で、スポーツとは別にdisciplina(英discipline)いわゆる、行儀というか規律などがしっかりしている武道を習わせたい、という話を耳にする。だから、空手や柔道などが、スポーツとは違う、いわゆる武道だという認識はあるようだ。

 

空手に関しては、もともと沖縄で「手(ティ)」と呼ばれた武技であり、琉球武士(人)の武術であったという...そういった空手の歴史も先月、師範より解説があったが、興味深く聞いていたイタリア人パパたちも多かった。

 

礼に始まり礼に終わる。」簡単なフリだけではなく、言葉に表さなければ相手に伝わらない。挨拶もお辞儀も、相手に対する礼儀と心を伝える「形」だ。

 

ああ、日本語も覚えなきゃ!というイタリア人門下生も多いが、周りの日本人を見て、その精神を感じてほしいと思う。一つ一つの動きに意味があり、受け継いていかなければならないことがある。であれば、私たち日本人はきちんとした模範を示せないといけない。

 

来月、イタリア本部での「秋の陣」なる大会が行われる。春以降稽古に費やし習得したものが発揮されないといけない。また、自分がどのような状況であっても、相手を敬い, 尊重する心を忘れてはいけない。これぞ日本人の精神だということを...

 

稽古する目的は、人間性を磨くことなんじゃないかと最近思う。道場、そして「道」なるものは、人間をつくる道そのものなのだと。

 

押忍。