日本の国技である柔道が世界に普及し、『世界の柔道』となったが、オリンピックや世界選手権を見ていると、何か違和感を感じてしまう。
一本をとった後に,ガッツポーズはおなじみになってきた。
今回,リオオリンピックの柔道男子66kg級の決勝戦で金メダルを取ったイタリア人選手。ありゃないわ。武道は『礼に始まり礼に終わる』。彼の技に関してはわからないが、勝った後の礼の前に宙返り。ピエロか?!そして、雄たけび。退場しようとする対戦相手に駆け寄り握手、そして無理やりハグ。なんだかなあ...
柔道って強ければ強いほど礼の精神を保ち、他を活かす自他共栄の心情・態度でなければいけないんじゃないの?!と思うのだ。
確かにオリンピックは、国の代表として参加しているので、確かに勝って国へ帰るという使命感、そしてそれが勝ち負けにこだわらざるを得ないのだろうが、武道の精神は?と問いたくなってしまうのだ。
特に,武道には『残心』と呼ばれる、勝敗が決まっても油断せず,相手のどんな反撃に対しても対応できるような身構え,気構えをするという(実際,それ以上はかかってこないが!)気迫に満ちた静謐さというものがある。勝っておごらず負けて悔やまず,常に節度ある態度を堅持する。これぞ残心。
まあ、Judoはスポーツだ,といわれてしまえばそれまでだが。
ところで、ついに空手も2020年に行われる東京オリンピックの正式種目に決定した。しかし、空手道は流派が多く,独自の形や伝統があり、稽古の体系から組み手に至るまで考え方がさまざま。そこをどう調整していくのだろうか?オリンピックとはかけ離れた次元で日本でも空手の稽古に励んでいるが、今読んでいる、誉田哲也氏著書「武士道シクスティーン」シリーズの影響か、何のために勝つのか?なぜ勝ちたいのか?そんなことばかり考えてしまう。
伝統的な「柔道」(空手)が国際化した「Judo」(Karate')(なぜかイタリアでは「テ」にアクセントがつく)になる。いやルールなども調整し、「競技スポーツ化した」ものになってしまったのだろうか。
創始者の基本理念も忘れずに、気持ちよく闘えるもの。そして応援できるものであってほしい。
伝統的な「柔道」(空手)が国際化した「Judo」(Karate')(なぜかイタリアでは「テ」にアクセントがつく)になる。いやルールなども調整し、「競技スポーツ化した」ものになってしまったのだろうか。
創始者の基本理念も忘れずに、気持ちよく闘えるもの。そして応援できるものであってほしい。
