
先日バスに乗っていると、ある母子3人組が乗ってきた。小学生低学年と高校生の娘のようだ。たまたま私の後ろに座り、聞くつもりは無いが、会話が聞こえてくる...???何語か?!英語かと思ったら、日本語だ。私、耳、変?それこそ私の日本語も変だが、舌を巻き込み、音がくぐもっているというか、英語か?と思えばやはり日本語だ。
しかも、母親は日本語を話しているのに,娘たちは,日本語と英語のちゃんぽんだ。一瞬、ぞっとした。我が家の子供たちもこんな感じなのか???
我が家の場合、日本語を話していても,どうしてもわからない単語はイタリア語になり勝ち。それを注意して、注意して、やっとこういう言葉日本語でなんと言うの?と聞くようになって来てはいるが、やはり、イタリア語で話すほうが楽のようだ。
話は基,バスのお嬢さんたちは、どうも帰国子女か、一時帰国中のようだ。格好もどうも日本人の小学生、高校生とは違った。彼女たちは、一つのフレーズに日本語の節と英語の節がまざっていて、言語があっちへいったりこっちへいったりしていた。
帰宅して調べていたら,主として国際結婚や海外駐在員家庭の子供たちに、言語的コミュニケーションがうまくとれないダブルリミテッドという障害が発生していると知った。
人間は、言語を使って思考する。言語能力が発達しなければ、思考や理解、考察する能力は育たない。本来、母語が定着する時期に、自我の形成も確立されていくので、母語/自我/アイデンティティというものは、強い関係があるという。
長女の例をとると、彼女は5歳から日本語で日記を書き出し、本もよく読んだ。最近、友人にいわれて、そうだったの?と思ったのは、長女は幼稚園時代『私は日本人だけれど、イタリア人だ!」と豪語していたという。彼女の自我はかなりしっかりしていたようだ。しかし、言語に関しては、書くことも、話すことも、読むことも、当然といえば当然だが、完全にイタリア語が強くなってしまった。しかも、日本の中高生のきゃーきゃーかわいい!といったノリやファッション、文化?などを毛嫌いし、日本語を学ぶことに何の意味がある?と言い出す時期もあったので、日本語熱はトーンダウン。日本語での会話も家庭内のみになってしまった。とりあえず補習校の高等部までは行ったが、それが役に立つ,行ってよかった、と現在,感じてはいないだろう。感謝してもらいたいとは思わないが、いつか行っててよかった、と思う日が来ることを期待したい。
とにかく、このダブルリミテッドを避けるためには,親は何があっても2つまたはそれ以上の言語をちゃんぽんしてはいけないし、子供がそうなったときは、断固として直すこと。親の意識も大切だ。
一難去って、また一難。長男と次男はまったく本を読まないので,日本語でのボキャブラリーは少ないし、言い回しもそれほど知らないのかもしれない。少なくとも母語、というか第一言語がしっかりしてくれればいいか...と今は期待しすぎないようにしている。苦笑