五十にして天命を知る?! | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。




昭和41年7月27日水曜日午後1時25分、私は東京は品川、今はなき某病院にて産声を上げた。この夏はどうも、低温、多雨、日照不足だったようだ。夫は、私以外の家族の生まれ年のワインはどれも大当たりの年だった!と言っていた。ちっ、皆ヴィンテージってわけか。ちなみに気温が低く、多雨の年のワインの出来は軽めらしい。

ところで、この年の出生数は136,097人。出生率は1.58。ちなみにその前年度の昭和40年は182,360人で出生率は2.14。翌年度の昭和42年は193,565人、出生率は2.23。それでも昨年の出生率は1.46、2年ぶりに上昇したというのだから、日本の現状は超少子超高齢化。どうなる美しい国、日本!

話は基、41年は丙午の年だった。丙午の年は、「火災が多い災いの年で、特にその年に生まれた女性は気性が激しく、夫を食い殺す」という俗説があったという。そんなわけで、母が私を身ごもったとき、父方の家系では私は初孫に当たるが、父の母親、つまり母の姑に堕ろしなさい、といわれたそうだ。そこで堕ろされていたら、今の私どころか、子供たちもこの世に存在していなかったことになる。

浄瑠璃で有名な『八百屋お七』では、主人公のお七がどうも丙午のようで、愛しい男に会いたい一心で、思いつめ家に火をつけるそうなのだが、私は気性が激しくとも異性に関してはかなりクールというか冷たい、というか今や興味も無いんだな...爆。ま、いっか。10年後の出生率はどうなることやら。

話は変わるが、イタリアでは成人になるのは18歳。日本のように一斉に成人式が行われるのではなく、各自が自分の誕生日に勝手にお祝いをする。特に大きなお祝いをするのが、18歳と50歳。私は、誕生日は毎年帰国中にぶつかるので、特に何もせず家族でささやかにケーキを食べるくらいだ。ちなみに今日は日中母とシフォンケーキを焼いた。デコレーションは長男と次男が担当。

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それにしても、ついに50か...といった感じ。内面的には何も変わっていないが、風格がやはりそれなりになってきているようだ。イタリアにいると、日本人は若く見えがちで、私の年を言うと皆驚くが、それで調子に乗ってはいけない。見た目は多少ごまかせても、態度に出るようだ。『あなた、50くらい?貫禄があるもの。」とミラノの日本人シスターに言われた。前回(10数年前)に会った時とは違う,自信と落ち着きが態度に出ているわよ,といわれ驚いた。へ・・・・と思ったものだ。

五十にして天命を知る』。
自分は50歳になり『天命』を知っただろうか?
天から与えられた使命、または人間の力ではどうしようもない<運命>や<宿命><寿命>はどうだろうか?果たすべき命題は???

個人的には,『カトリック』という軸を持ち,意識するものは大いにある。けれど、自分自身の限界とはどんなものだろうか?

まあ、それは六十になっても七十になってもわからないかもしれない。たが、一生を終えて後に残るものは、自分が集めたものではなく,人に与え、その後自分の元に戻ってくるものなのかもしれない。人に与えて、与えられるもの。

また、日々回心が大切。これは、ヒンズーの教えであるが、心が変われば、態度が変わる。態度が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる。運命が変われば、人生が変わる。 

心を変えること。つまり毎日の生活における『死と復活』が大切だ。

私の命は,神様に委ねます。といいたいところだが、もしかすると最後になってじたばたしてしまうかもしれない。五十にして天命を知るには早すぎる?!ファイティング50!まだまだがんばります。