スマホとポケモンGO | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。





ついに日本でも『ポケモンGo』のアプリがダウンロードできるようになってしまった。実家近くの竹林の中で、小中学生がスマホの画面を見ながら歩き、ポケモンを探している姿を見かけた。

スマホのGPS機能を利用し、街中に出没するモンスターを捕まえたり、戦わせたりして遊ぶという。こんなバーチャル的な遊びが、家のPCの前だけではなく、自分で歩きながら遊ぶ時代が来るとは、10年前どころか、1年前でさえ、誰が想像しただろうか?

だいたい、携帯電話の歴史は30年だというが、私が渡伊した93年に携帯電話を持ち歩いていた人はまだまだ少数。私が携帯し始めたのは、20年にも満たないが、当時はエリックソン、ノキア、モトローラなど外国製品ばかり。フリッパー型から持ち始め、折りたたみ式、スライド式などを持っていた。

さまざまな型を経由し、タッチパネルになるなどとは想像もしていなかった。まさしくBack to the Futureの世界に似たものを感じる。そして、誰もが一人一台携帯電話を持つ時代。イタリアでは、従来型端末のガラケーを持つ人は少ない。けれど、中学生でiPhoneを持っている子供もおり、それってどうよ!と他人のお宅の話であっても、冷たい目で見てしまう。先日会った友人は、「高校生まではガラケー。後は、自分で買えばいい。」と言っていたが、私も賛成。緊急のためのツールであって、それなしでは生きられないようになってしまっては困る。

携帯電話を始め、物事には、良い面と悪い面がある。携帯電話は便利だ。帰国時は、ただ連絡がつけばよい、プリペード式のガラケー携帯電話を数年前に購入。あとはポケットWifiを借りて、イタリアで使用しているスマホを持ち歩いているが、ある日、一人でガラケーのみをもって出かけたら、ちょっと寄りたかったお店の住所がわからない。駅員さんに尋ねたら親切に住所を調べ地図まで見せてくださったが、途中で、番地の前につく町名を忘れてしまった。また記憶にあった地図の場所にそのお店はない。母に電話をすると、子供たちがWifiを持ってどこかへ出かけてしまっていた。私が行きたい住所を調べてもらいたかったが、たぶん両親には調べられないだろう。どうしたものか...友人に「助けて~。」と電話をしなんとか目的地にたどりつけたが、携帯電話を持ち歩いていなかった時代が嘘のように思えてしまう。

いずれにしても、ポケモンGOをはじめとするゲーム、チャット、携帯電話...自分の生活は自分で管理しないといけない。一人ひとりの自由を生かすも殺すも自分次第ということ。また、家族の電話ではありえなかった、電話の感覚、常識の無さ、非常識な行動といったものも著しく目立つようになってきていることだろう。自分本位、思いやりのなさ...意識しないといけない。

話はずれてしまったが、「ポケモンGO」の話。私のスマホにも勝手に子供たちがダウンロードしていたようだが、消してしまった。私の携帯電話はおもちゃじゃないぞ。

私自身あまりゲームはしないが、すでに世界のあちこちで事件や事故が起きていることを知ると恐ろしくなる。注意喚起は大事だが、自分がゲットされないよう肝に銘じて、ポケモンゲットだぜ!苦笑