聖書の集いとミサ 2016 ~ その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。


   母病院 大聖堂

   大聖堂外観

今日も聖母病院でのバレンタイン神父様による聖書の集いとごミサにあずかってきた。

聖書朗読は、先週の続きでヨハネによる福音書8章37節~47節。ヨハネはユダヤ教から、キリスト教に改宗した人向けに書いているようで、旧約聖書が背景になっているとおっしゃる。なので、やはり読む方も旧約聖書の知識は必要だが、聖書を読むときは、自分の生活に当てはめ、自分にどう語りかけているかを考えることが大切だと神父様。

今回も「悟り」について話があった。心がなければ悟れない。心の動きが大事。開いた心がないと悟れない....。やはり「りっしんべん」は「心」が伴う意味があるのだなあ。

私たちは、日々、人々にかかわって生きている。なのに、人の立場でなく、自分の都合、自分の尺度で他人を見てしまう。無条件で他人を受け入れれば、物事変わっていきますよ、とまたまた神父様。

神父様は病院のチャプレンなので、それこそ、毎日赤ちゃん、病気の方、ご臨終間近の方々にまじまじと触れられておられる。色眼鏡で見てしまうと、相手から頂く恵みを失ってしまうという。無条件で人を受け入れる。それが最高のもてなし。

8:42 神から来て、神に戻る。そうやって人間は完成していくのですよ。円くなっていくのです。丸くなってはいけません、肥満は最悪ですよ、と冗談を交えてお話される。

わたしは自分から来たのではなく、神がわたしを遣わされたのである。

限られた月日が神様からの恵みと気づければ、それこそ幸せなこと。そして、人々の支えによって生かされているという意識を持つことが大切だ。

素朴、謙遜、謙った生活というのは、簡単そうで難しい。

ごミサの朗読は、「種まき」が種をまきに行く話。種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 耳のある者は聞くがよい。

人によって得るもの。すべて心の状態によって得るもの、結果は違う。頂く恵み、一日をどう受け止め、または受け入れられるか、自分の生活に取り入れていくことが課題だ。

神父様は「聞く」というのは耳と心で聞く「聴く」のほうがいいですね、とおっしゃっていた。日本人以上に豊かな感受性ではないか!笑

神様の呼びかけに耳を傾けましょう。誰もの心の中に神様はとどまっています。その言葉に水をあげていますか?培っていますか?恵みに気づくためには心の余裕も大切です。

背筋を伸ばし、思わず心と呼吸を整えた。

    聖母病院内 ルルドの庭



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