日本の公共機関のバスは、イタリアのそれよりも座席数が少なく、天井も低いせいか密室的というか、どうも圧迫感を感じてしまう。帰国して一週間、結構バスを利用しているが、時間的に限らず常に込み合っている。お年よりも多く目にするが、優先席などあっても機能しているのだろうか?と疑問に思うほど、学生や若い人が座っている。まあ、お年寄りや妊婦さん、小さい子連れの人たちが来たら、席を譲るのかな?と思うと、決してそうではない。
海外で、日本好きの外国人は、「日本人は皆優しい、親切。」と口をそろえて言うが、本当にそうなのだろうか?と思うことがある。また、「日本人はごみを散らかしたら、必ず綺麗に片付けて帰る」という人もいるが、本当にそうだろうか?日本でも、ミラノでも日本人の集まるところ、必ずしもそうではないと断言できるし、片づけをしている日本人など本当に少数派だ。
ところで、今朝バスに乗っていたら、通常通り込み合っていたのだが、近くの席が空いたので、座ったところ、ふと顔を上げると私の前に70歳代後半くらいの女性がいらした。「お座りになりますか?」といって立ち上がると、「すいません」といって座られた。
たまに、バスや電車の席にすわり、ふと周りを見回したとき、立っているお年寄りと目があってしまうと、そのまま座っていることに罪悪感を感じることがある。
イタリアでは、席を譲る際、”Vuole/vuoi sedersi?"と一言声をかけるが、直訳すると、どうも『座りたいですか?』といっているような気がしてしまうのだが、そうやって立っていらっしゃるお年寄りに声をかけると、代わることもあれば、「すぐ降りるから大丈夫ですよ。」と言われることもある。大抵私は、車内で編み物や折り紙を折っていることが多いので、それがきっかけで会話になることも多い。
席を譲ることもなく、ましてやいくら知らない人だからといって会話のない生活は人の心や情緒にも影響があるのではないだろうか?逆をいえば、人の心に触れることで、感情に丸みというか、温かさが増すのではないだろうか?と期待するのは、楽観的すぎるのだろうか。
今、東京都知事選が熱いが、温かい人間の街にして欲しいものだ。
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