oratorio estivo 2016 オラトリオ ~ Perdiqua その8 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。




本来夏のオラトリオはあと一週間あり、最終日まで出席表明を出していたが、家庭の事情で急遽帰国が早まり最終週は急遽キャンセル。次男はあと1日参加するが、私は出発の準備は出来ていないし、まだ挨拶しておきたい人もいるわで結局オラトリオは先日の金曜日をもって終了した。

幸か不幸か?やっとトモーコ、トモーコと心を開いてくれたり(もしかしたら私も心を閉ざしていたのかもしれないが?!) いい関係になってきたスタッフや子供達もいたのに、一足先にさよならはちょっと寂しい。忍耐のいる人間関係の中で、相手を赦し受け入れるのは常に挑戦だ。次男も内部でいろいろあって葛藤があり、数日オラトリオへ行かなかい日もあったし、そのことで親子喧嘩も絶えず闘いの日々だった。

「ママは僕より教会の方が大切なんだ!」と言われ、スタッフはスタッフで単なるコミュニケーション不足と、また各々の慈しみの心が足りずギクシャクしていた。司祭も病気の父親を抱え、精神的に苦しんでいる姿を傍で見ているのは辛かった。

昨年よりずっとスタッフはいたのに、毎日2時間の手伝いの予定が、結局毎日最低3~4時間は居残り続けた。でも参加するなら「喜んで!」と言いたい。

結局「自我」が強すぎるほど文句が出る。自分、自分の家庭は大切。でもその中で、どれだけ自分を殺し、他者に奉仕できるか?つまり自分を捧げられるか?お互いが支え合っていかなければならないが、誰もが抱える家庭の問題は仕方ないとしても、無理してきた人に対し、「なんで来たの?」とか「今すぐ帰りなさいよ!」と本来愛情表現の言葉が、トゲのある言葉になり、まーまー批判に批判が重ねられたものか!

パパ様は、

Amare e perdonare come Dio ama e perdona. Questo è un programma di vita che non può conoscere interruzioni o eccezioni.

神が愛し赦したように、愛し赦しましょう。これこそ何の妨げも例外もない人生の原則です。


そして


「尊重と一致、奉仕が、力強い家庭や堅固な民主主義の礎で、あらゆる信仰のたまものへの健全な応答になる」ともおっしゃられたことがある。


日々の生活が、より良い生活、人生を送れるよう修行の場でもある。


ミッションコンプリート。任務終了。

批判、文句を言うのは簡単だ。また嫌だからといってその場から離れるのも簡単だ。けれど、課題が残っている分、それを分析し、より良い人生、そしてより良いオラトリオ、そしてより良い社会につながるよう、皆で努力していこう。