人を裁いてはいけない | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



人を裁く前に自分がどうであるか鏡を見てみましょう。
...とパパ様は6月20日サンタマルタでのごミサのお説教でそう話された。

まさにそうだと思う。自分を棚に上げ、人は他人を批判し、裁こうとする。

鏡を見てみましょう。けれど、化粧をするためではありません。何故ならばそこにシワは見えません。鏡の自分自身をみてみましょう。

兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある丸太に気づかないのか。自分の目に丸太があるのに、どうして、兄弟に向かって、「あなたの目からおが屑を取り除かせてくれ」と言えるのか。(マタイ7:3-4)

考えさせられる。

ところで、夏休みに入り、ほぼ毎日オラトリオに顔を出しているし、関係者のwhatsAppでは、1日に何度も連絡事項が回ってくる。私が回すことも多い。言っちゃ悪いが、子供の学校関係やItamaのSNSよりは、無駄のない用事のみの連絡で、誰かが来られなければ、誰かがフォローする内容でずっとまともだ。とはいえ、現場へ行くと、誰かしらが、(別の誰かが)何かをした、何をした...小言やグチが聞こえてくる。司祭と口喧嘩する人さえいる。それは、どこにいてもある話。私は、聞こえないふりをしているが、まーまーここは教会で、皆クリスチャンなのに、文句言い過ぎ!人のこと言い過ぎ!と思う。

私たちにはできることしかできないし、やるべき使命を果たすだけ。誰がどう批判しようと、神様はみていてくださる。神様は私たちをご存知!と思うだけで十分ではないか?

とはいえ、他者を兄弟とみなし、広い心を持つことはそうたやすいことではない。愛の行いとして、他者を時に注意することも必要だが、個人的な「目」「判断」にとらわれないようにしないといけない。相手を赦す心を作るために心が平和な状態でいないと、言葉/舌は時に、相手を傷つけてしまう。
「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。真実を語る唇はいつまでも確かなもの。うそをつく舌は一瞬。」(箴言12:18~19)
「自分の口を警戒する者は命を守る。いたずらに唇を開くものは滅びる。」(箴言13:3)

「自分の口と舌を守る人は、苦難から自分の魂を守る。」(箴言21:23)


「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。神に逆らう者が目の前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう。・・・わたしは黙し、口を開きません。あなたが計らってくださるでしょう。」(詩編39:2、10)


人を裁かず、人のために祈れる人間になりたいもの。