夏休みに突入し、まず頭が痛いのが、子供達は時間がありすぎてだらだらとした生活になりがちだということ。
長い休みは、生活習慣が大切。早寝早起き、とはいかなくもだらだら遅くまで起きて、だらだら起きてくることがないように注意をしているが、子供達は何をどう叫んでも起きてこないのが現実。勘弁してよ!
私は、子供の頃、要領が良かったというか、単に神経質だったのかもしれないが、夏休みに入る前からフライングのように宿題を始め、自由作品だけは割に最後まで置いておいたが、ギリギリになって焦って宿題をする、ということは決してなかったし、親にガミガミ言われることもなかった。普段でも帰宅してから遊びに行く前に宿題を済まし、翌日の時間割を揃えるのが習慣だった。また、寝る前には翌日に着る服を枕元に置いて寝たり...と、自分の子供に比べたら、超神経質だけだったのかもしれないが、やることは素早い子供だった。
だから自分の子供が理解できない...苦笑。
昨日、空手の稽古の後に、師範より夏休みに向けて、いかに宿題を早く終わらせ、自分のための時間を作るか、という話があった。
ところで、イタリアの小学校の夏休みの宿題、というとイタリア語、数学、英語あたりが夏休み向けのドリルとして販売されるので、それを各自購入して、やるよう勧められる。けれど、新学期が始まり、その中身を担任が確認し、添削をするようなことはない。読書感想文なるものもない。中学はどうなっているか忘れていたが、次男に聞くと、購入するのではなく、今あるものからレポートをまとめたり、ドリルをすることのようだった。8科目あると言っていたが、「だからといって3ヶ月もかかるものじゃないでしょう?1ヶ月だってかからないよ。」というと「一週間」と次男は言う。まあ、来週からオラトリオが始まれば、朝から夕方までばっちりだし、宿題は持っていけるが、まずやるとは思えず。プールに遠足...絶対、普段の生活より疲れきるはず。(いいことだ!)
それが、何を血迷ったのか次男は、コンピューターを開き、自分のファイルを作って、レポートを書き始めた。なにか魚をテーマに取り上げるらしい。とはいえ、コピーと貼り付けが多いので、それもどうよ!と思うのだが、画像を見つけてきては貼り付けたり、あっという間に出来上がり。その他、表作りもあれよあれよ、と言う間に簡単に作っていた。今時の子供はそれが当たり前なのだろうが、時代も変わったものだ。
「早く自由な時間を作るんだあ」という。いいことだ!と思っても、それが長続きしないから、毎回がっくりさせられる。爆 空手の夏休みの宿題の「絵本」作りもあるし、日本語の復習として、低学年の漢字と読解も少しずつやり直していこうと思う。
とはいえ、ある年齢までは、親のサポートも必要だが、それ以降は自分自身の責任。
英語で「責任」という言葉は「responseーability」と書く。「答える能力」だ。私たちは色々な責任を負っているが、その最大のものは、自分の人生をいかに過ごすかに対しての責任であろう。
丁寧に時間を使えば、丁寧な人生を送れるだろうし、粗末にぞんざいに、いい加減に時間を使えば、自分の人生は雑なものになるだろう。憎しみを込めた時間が多ければ、憎しみの多い人生になるだろうし、愛を込めた時間が多ければ、愛の深い人生を送ることができるのかもしれない。
問われるのは、自分自身。
最近「どうでもいいよ」と口癖のようにいう長男。今にバチが当たるだろう。