聖霊降臨祭 2016 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先週、我がパロッキアでは小学4年生の初聖体の儀式が行われた。そして、翌週の今日は「聖霊降臨祭」。

今年も昨年同様ミサやミサ後のフェスタの企画から参加させてもらった。

聖霊降臨祭は、復活祭50日後、天から聖霊が降りてくるのだが、それが火炎の舌の形になって弟子たちの上に降りてきたという。舌、linguaとは、言語のこともさすので、様々な言語、という解釈がなされ、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出す。それはそれぞれの故郷の言葉だ。外国人の多い我がパロッキアでは毎年数ヶ国語の言語にて祈りや聖歌が捧げられた。

私は詩篇と共同祈願を日本語で読んだが、はっきり言って、翻訳が難しく正しかったのかどうかは確かではないのだが、音、響きなどの違いを感じてもらえたのではないだろうか?

奉納に千羽鶴を折って捧げた。これは、日本では「長寿」、そして「平和」のシンボルでもある。在ミラノの日本人の友人知人にも祈りを込めて作ってもらった。最後の2、3日で糸を通してまとめたが、実際1240羽あった。ミサの後、実際手にとってみてくださり、欲しいという人もいたが、実際私が午後の食事会や催しものに残れなかったので、来月から始まる夏のオラトリオで子供達に配ることにした。

一度帰宅し、大急ぎで食事を済まし、次男と一緒に今度は日本人会のごミサに参列。

ブレーシャから神父様が来てくださった。7月に日本に行かれる。(ご本人は”帰る”とおっしゃっていた!)声がはっきり通り、非常に聞きやすいお説教である。もちろん内容も!ミサの司式、お説教もそうだが、一般的な会話、そしてスピーチ、プレゼンなどなど、顔の表情、声の大きさ、高さ、明るさなどで随分とイメージはかわるものだとふと思った。

話は逸れたが、朝のミサのお説教でも、先週初聖体を受けた子供達に、司祭は「聖霊 "Lo Spirito Santo" とはなんですか?」と尋ねていた。

私たちは、「父と、子と、聖霊のみ名によって...」そういって十字架を切る。ヘブライ語で「聖霊」という言葉は、“ルハー”、ギリシャ語では“プネウマ”といい、風・息・人間の霊・神の霊など、いろいろ異なった意味を持っている。聖霊は「神」そのもの。生きる水。生きる力。


私たち信者は、聖霊の賜物のうちに生きている。その聖霊が新しい命として自分の中に働いていることを意識しましょう、と午前と午後のミサでも何度も繰り返された。その聖霊の存在を忘れてしまうと、エゴやわがままが出てしまう。毎日の生活の中で、どうすれば、神を愛することができるか。どう人を愛せるか?


聖霊の働きは内面的なもの。毎日数分でも心を整え静かに聖霊に耳を傾ける必要があるという。そこで、心の嘆き、喜び、情熱的な気持ち、すすり泣く思いなど、神様に向かって柔軟な心で祈ることが大切だ。


また、そうできるような自分自身の環境を作る、整えることも大事。


日常生活の中、そして自分の中の聖霊の存在を意識し、私たちもキリストを証しする使命を与えられた「使徒」となって教会から広い外の世界に出かけて行こう。


<聖霊の続唱>

聖霊来てください。あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください。
貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆらぐことのないよりどころ。
苦しむ時の励まし、暑さの安らい、うれいの時の慰め。
恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、だれも清く生きてはゆけない。
汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。
あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、
終わりなく喜ぶことができますように。アーメン。





パパ様の「聖霊」に関する一般謁見