次男が補習校をやめてしまい、いかに日本語、国語教育を続けていくか苦労している。
漢字はやる気になればいつかは出来るようになるだろう。けれど、思ったこと、感じたこと、考えなどを、順序良く説明できること。そして、書けることができれば良いかなあ、と思いつつ、なかなか思うように指導できない。だからといって、ドリルだけやってもそれほど力がつくとは思えない。
私は基本として読書が大切だと思う。読書は、「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」「国語の知識など」国語力を構成している。読書を習慣づけることは、国語力を向上させるばかりでなく、一生の財産として生きる力ともなり、楽しみの素ともなる。そして、すべての活動の基盤ともなる「教養、価値観、感性など」を生涯を通じて身につけていくためにも極めて重要なものと言えるだろう。
イタリアでも読書離れが叫ばれているが、小学校から中学、高校へと学年が進むほど、本離れが進むようだ。もちろん、子どものみならず大人にも読書離れの傾向が認められているという。
ちなみに補習校の高等部の読書の目標は年間最低5冊。たった5冊である。ちなみに漫画は許可されていないが、たった5冊である!と言いたいところだが、5冊さえにも到達しない生徒があまりにも多いのが現実だ。時間がないというよりは、興味がない。漢字が読めない...などなど問題は色々あるようだが、ただただ勿体無い!と思う。1日24時間。平均寿命80年。生涯何にどれだけ時間をかけるかは、各々の勝手だが、せっかく本が読める自由とチャンスがありながら、それを放棄してしまうのは、非常に残念だ。
インターネットの発展により、情報化社会が進んだ。自分で物を考えずに断片的な情報を受け取ることができるが、受け身の姿勢をもたらしやすい。自分で物を考える必要があるからこそ、読書が一層必要となり、各自の成長が期待できるのに、国語力の育成なしに、将来立派な社会人になるには、ちょっと大丈夫?という気がしてしまう。
ところで、我が家の子供達。長女は本が大好きで、一度本に熱中してしまうと、子どもの頃から夜更かしをしてでもずっと本に集中するタイプだった。しかし、長男、次男は全くダメ。彼らが小さいころ、読み聞かせのグループに参加していたが、長女は大好きだったが、息子たちは、さーっとおもちゃの部屋に入ってしまい戻ってこない。全く興味を持たず。書くことも長女は大好きで、作文の宿題は、書きたいことが原稿用紙に入りきれないほどあり、周りのスペースを囲みこむように綴っていた。が、愚息どもは全くダメ。毎年読書感想文は親の宿題か?!と思うくらい苦労したものだ。
もちろん、ただ勝手に書かせるのでなくきちんとした「指導」も大切だ。私が小学5、6年生の頃の担任は、毎週詩を暗唱させ、また「綴り方教室」というのを設けていたせいか、子供の頃から日記や読書ノートなど書くことが好きで、なんでも書いていた。また学生の頃の「国語表現法」というクラスで隔週ごとにテーマが設けられ、作文を書き、その翌週には、内容の良かった学生の作品が作者は告げず、教授によって朗読された。自分の作文が読まれるたび、嬉しかったし自信がついたと思う。
話は飛ぶが、昨日用事があって在ミラノ日本領事館へ出かけてきた。今までは、補習校に通っていたので、日本の教科書をいただけだが、やめてしまうと、領事館でもらえるとはいえ、前年度に申し込んでいないといけない。なので、いただけるのかどうか?問い合わせてみると、まだありますよ、と言って一式いただけた。昨年改定されているので、長女や長男の時代の内容とは微妙に違う。
興味津々、私のほうが頂いた教科書に夢中になって読み込んでしまった。苦笑 内容によっては、イタリアの現地校で既に習ったものもあるようだが、やはりそれを日本語で読んで理解する、ということに意味がある。
今後、次男にどんな日本語の本を読ませるべきか?と思っていたが、そうか!教科書を読ませれば良いのだ!と思った。教科書に盛り込まれる教材や内容は精選されてきている。日本の学校教育で使われている現行の教科書が子供達の読みたいという気持ちに応えているのか。またこの分量、内容で、一般向けの本が読めるようになるのかどうかはわからない。
ただ、読む習慣をつけさせたい。1日10分でもいい。5分でもいい。読書の重要性、そして楽しさを感じて欲しいと思う。親の押し付けだろうか?

