大海の一滴 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



先週の私担当のオラトリオの日に、また喧嘩があった。しかも司祭が不在の日に限って起きる。

サッカーをしていた中学生が、いきなり誰のボールだと言い合いになり、エジプト人の子が先に手を出したのだ。「どんな理由であれ、先に手を出した方が負け。言い訳は聞きたくない。今日は家に帰れ!これがオラトリオの決まり!バスタ~っ!!」といって無理やり帰させた。あとから仲間が、「シニョーラ、シニョーラ...」といって初めに手をだした子をかばうことを沢山言ってきたが無視。結局、ボールはオラトリオのものだったのに彼らに持ち帰られてしまったのだ。たまたまそこにいた聖歌隊で一緒のイタリア人のおじいちゃんが手助けしてくれたが、後味が悪かった。

毎週、オラトリオに行くまで気が重い。
彼らを頭から怒鳴って怒り倒すイタリア人は沢山いる。怒鳴って追い出すのは簡単だが、どうやって理解させるか、そしてうまく関係を築いていくか、それが問題だ。やんちゃな子たちは、いつもオラトリオで怒鳴っている人に怒鳴られるよりも、イタリア人よりも一瞬(?!)静かそうにみえる私に怒鳴られる方がビビるらしい。現に、今まで私に怒鳴られたエジプト人の子供たちに、徐々に変化が起きている。「チャオ!T子!」挨拶するようになってきた。目があうと、恥ずかしそうに手をふる子。昨日は私に「僕の携帯電話持っててくれる?」と預けにきた。洋服や学校のカバン、家の鍵、おやつを買う小銭...色々と持ってくる。

ところで、5月15日に「聖霊降臨祭」のお祝いがある。「五旬祭(イエスの復活から50日)の日が来て、かれらがみな一緒に集まっていると、突然、天から激しい風が吹いてくるような音が聞こえ、彼らが座っていた家にみち、火のような舌が現れ、分かれて、おのおのの上にとどまった。すると、彼らはみな、聖霊に満たされ、霊がいわせるままに、いろいろの国の言葉で話し始めた」(使徒言行録2:1-4)。

私の所属する教会では、外国人も多いため、「諸国民のミサ」として複数の言語での朗読、祈りそして聖歌を混ぜ、また持ち寄り食事会と午後に催し物が行われる。その打ち合わせが昨夜あったのだが、聖職者を含め、30数名集まりそのうち、9名が外国人。4名がなんとモロッコ人、しかも地域のイスラム教徒だった。我が地域の「聖霊降臨祭」は地域の「融合」の機会でもある。もちろん、イスラム教徒といっても一部だけの人間であるし、我が家の夫でさえ、宗教を持つこと、特にカトリックであることはイタリアで生きていくのには便利だから、というような理解でしかないから、しゃーないわ、と思うのだが、異文化、異宗教が偏見や先入観なく、尊重しあい、分かち合うことは、人間として大切なことだと思う。一人一人の心の平和が、結局世界の平和の一歩につながるのだと信じたい。

ミラノは人種の坩堝。特にサンシーロ地域は、国籍も様々だが、貧富の差も激しい。その中でいかにうまく生きていくか。根付いていくか。聖職者たちはもちろん、私にとってもミッションだ。

「わたしたちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。でもその一滴の水があつまって大海となるのです」byマザー•テレサ

世界を救うなど大それがことはできなくても、身の回りの小さなことから始めれば、平和の一歩につながるかもしれない。

聖霊降臨祭の打ち合わせはまだ続く...

 

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/kohrin.htm