私の回心は聖パウロのように劇的ではなく、長い長い道のりだった。子供の頃から教会で英語を学び、友人の影響で教会のバザーに出かけたり、その後もプロテスタントの学校で、キリスト教概論やら倫理を学び、音楽の授業はすべて賛美歌、義務ではなかったが毎週礼拝にも参列。当時夜間に通っていたアテネフランスのクラスメートにもプロテスタントの伝道師さんがいらして(仏教のお坊さんもいらした!)、彼女から聞く話は非常に興味深かった。とはいえ、興味をもったり離れたり、再び興味をもったり離れたり...いつか私もクリスチャンになるかもしれない、とは思いつつも、洗礼を受けるなどと具体的なことは考えたこともなかった。
その後しばらくして、夫の仕事の関係でローマに駐在。体を壊し、治療のため一時単身帰国。その時、友人の紹介で麹町にあるイグナチオ教会の聖書の会に数ヶ月だけ通った。大好きなヴァレンタイン•デ•スーザ神父様との出会いである。そして、再びローマへ戻り、初めて日本語で行う聖書教室があると聞き、参加した。今はわからないが、以前は、ローマの駐在といえば、大使館(在ローマと在ヴァチカン)、新聞社と旅行社関係が主でその奥様方が多く参加されていた。当時私がそのグループでは一番若かったので、勉強会の後のお茶会は、何かと率先してお茶の準備をしたり、気を使うことも多かった。苦笑 その時から、ミサに通うようになった。
ローマには、神学を学びに来ている日本人司祭や日本にいらしたことのある日本語を話されるイタリア人司祭も多く、月に一度に行われるイエズス会本部での日本人会の日本語ミサの後の、茶話会というのは、非常に人が多く錚々たる方々の顔ぶれだった。今は亡き浜尾枢機卿様や日本二十六人聖人記念館館長でいらした結城了悟神父様、現在は南山大学の教授でおられるシーゲル神父様もいらした。今思えば、「諸宗教の神学」などについて色々お伺いしたい方ばかりだった。笑 また、毎週日曜日フォロロマーノ脇の教会でも日本語ミサが午後から行われており、夫は週末も出張で不在がちだったので、まだヨチヨチ歩きの長女をつれてミサに与り、そのあと遺跡近辺を散歩したものだった。
ミラノに移動。長男が幼稚園に通い始めてから現在も通っている修道会での「聖書の会」に参加。それでも、洗礼を意識したことはなかった。というよりも、罪深い自分が神様の前に出るなどとはとんでもない、という気持ちがぬぐいきれなかった。そんな時、ミラノ•ドウモの裏に、日本人教会というのが設立され、そこへ派遣された神父様がいらして「そろそろ洗礼を受けてみませんか?」と声をかけられたのだ。本来洗礼を受けるためには、成人でも手続きから2年は要理を勉強しなくてはならないが、あれよあれよ、と手続きが進み、3ヶ月後に受洗。けれど、ドウモや日本人教会ではなく、住んでいる地域の教会で洗礼を受けたい、信者になるのならばそこに根を張りたい、とい うのが私の希望であった。
2006年4月15日復活徹夜祭の聖土曜日に洗礼を受けたが、その前の四旬節から現在通っている教会に洗礼志願者として紹介をされ、数回の信仰宣言やら儀式があった。ある時、バスの中であったインドネシア人のおばあさんに「あなた日本人?私の教会でね、復活祭の前夜に日本人でなんとかソフィアTomokoって人が洗礼を受けるのよ。」と嬉しそうに声をかけてきたので、「あっ私です。」と答えたら、歓喜の声?と共に抱きつかれてしまった。笑 新たな人間として生まれ変わることを喜んで迎え入れてくれた人たちは、今思えば、聖歌隊のメンバーだったり、教会役員だったことを思い出す。
パパ様はおっしゃる。私たちの受洗日は私たちの教会での誕生日であると。また、その記念日を祝い、この賜物を主に感謝できるようになると。
また先日、パパ様のツイートでは、「教会は、だれも除外することなくすべての人に会いに出かけた神の子の振る舞いをします。」とあった。イタリア人の間では、よく「神は信じるが教会は信じない」という声をたまに聞く。教会によっては司祭が厳しすぎるところあるだろう。また、司祭は良くても、教会に来ている人たちが嫌い、という声も耳にする。欠点のない人間はおらず、そしてまた教会は罪人の集まりといってもおかしくない。ただ、自分を見つめることは難しいが、人と人との関わり合いの中で見つめることはできる。忍耐、愛、そして新しい命という尊い価値はこれからも守り続けられるよう神様委ねないといけない。
そして、あと2ヶ月もしないうちに夏休みに突入する。今年も夏のオラトリオが始まる。申し込みもそろそろ始まるため、学生リーダーたちの研修も始まり、あくまでリーダーたちの助っ人であるスタッフの打ち合わせも来週開催される。どうしても人数が増えず悪銭苦闘している。夏のオラトリオは、宗教関係なく多くの子供達がやってくる。そしてアンブロジアーノ教区の今年のテーマは「イエスのように」。私にとってはミッションだ。
そして、あと2ヶ月もしないうちに夏休みに突入する。今年も夏のオラトリオが始まる。申し込みもそろそろ始まるため、学生リーダーたちの研修も始まり、あくまでリーダーたちの助っ人であるスタッフの打ち合わせも来週開催される。どうしても人数が増えず悪銭苦闘している。夏のオラトリオは、宗教関係なく多くの子供達がやってくる。そしてアンブロジアーノ教区の今年のテーマは「イエスのように」。私にとってはミッションだ。
今、ここまでの道のりは決して無駄ではなく、すべてが神様の恵み。神様のご計画だったと思える。
神に感謝。そして私のためにお祈りください。
