今週の空手の稽古では、先日の大会後、師範がビデオを見直して、改めて気づいたところ、皆が今後新たに注意して練習に励む点を注意されている。
いくつかあったのだが、なるほどと思ったのは、「気合」のタイミング。
声の大きさにかかわらず、動きと声があっていない。あってこそ「気合」だということだった。きちんと呼吸ができていれば、息を吐く部分で気合が出る。それも喉、口先で出すのではなく、腹から出すというもの。お臍の下の丹田から絞り出す、とでも言おうか。
息を吐きながら丹田に力を入れ、上半身の力を抜く。呼吸は全てにおいて基本であるが、丹田を使うと自然に横隔膜も使うし、お腹はセルフマッサージされるせいか、内臓まで鍛えらえる。だから、琉球空手の高齢の師範は病気しらずが多いらしい。ちなみに、私は空手を始めて、腹式呼吸の効能か、声が出るようになった。またここ数年、歌も歌っている分横隔膜の運動は激しく?肋骨が広がり、それでいて胃に肉がつかなくなったように思える。
ところで、基本稽古に入る前に、準備体操に鍛錬として、腕立て伏せと腹筋が組み込まれている。曜日と道場、というか来ている門下生の顔ぶれによってメニューも微妙に違うのだが、最近よくするのが、プランクと呼ばれる、うつ伏せ状態で肘をつき、背筋を伸ばすトレーニング。通常70秒だが、関節を痛めることなく、体全体適度にバランスとお腹周りを鍛えてくれる私の好きなトレーニング。また、スクワットも緩んだ足を引き締めれくれる。
この「鍛錬」という言葉を、宮本武蔵は「五輪書」で「千里の道もひと足宛はこぶなり。千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす」と言っており、それに関する解釈を師範は通訳をつけ説明された。
1年365日。1日最低3回ずつでも型を打てば1000回にはなる。毎日欠かさずにやり続けていくと、その型は体に染み込み安定感が出てくるという。なので、最低でも3年以上、紫帯以上の保持者の型は、安心して見られると師範。黒帯保持者はもちろん、少なくとも紫帯の女性たちは、常に型がぶれない芯があり、しなやかでそれでいて強さと安定感があり綺麗だとほれぼれしながら見ている。
ところで、「鍛」も「練」も辞書を調べると「ねりきたえる」という意味がある。
その違いは、「鍛」は金属を打ち鍛えること「練」は絹糸をねることとある。また金偏の「錬」の場合は、金属に焼きを入れて硬質なものに鍛える、とある。いずれにしても、千日の稽古は形作りで、万日の稽古はより繊細に、完成度の高い仕上げを目指すということだろう。
次男に、師範の言ったことわかった?と聞くと、一応聞いたことを答える。確かに言葉としては正確に聞いていた。私はすでに師範の話を二度聞いたが、初日は長男は休みだったので、家で「鍛錬」の話をした。二度目の稽古で、彼が通訳したので、「鍛錬」の話が出るか?と思ったら、その時は出なかった。ある一定上の年齢のイタリア人が多かったから聞いて欲しかったなあ。笑
耳で聞いてもわかったつもりでいても、意識を変え、稽古に励むかどうかは別問題。何れにしても、ひとつのことを続けるのは、「意志力」が大事。継続そのものが「力」となる。それに加え「人間力」も付いてくることだろう。今はただただ、形を覚えること。先の先の完成を目標に努力し続ければ良いが、上のステージに上がれば上がるほど、今度は「指導者」としてどうあるべきか、きっと別の課題が出てくるのかもしれない。まあ、今は余計なことは考えずに前だけ向いておけばいいのだが。笑

