
1月5日
La misericordia è divenuta viva e visibile in Gesù di Nazareth (MV 1).
ナザレのイエスのうちに、いつくしみは生きたもの、見えるものとなりました。(いつくしみの特別聖年公布の大勅書 1より)
1月8日
Quando il mondo dorme nella comodità e nell’egoismo, la missione cristiana è di aiutarlo a svegliarsi.
世界が便利さと利己主義に休眠状態である時、キリスト者の使命は、人々の目を覚まさせる手助けをすることです。
1月12日
Se ci affidiamo al Signore possiamo superare tutti gli ostacoli che troviamo sul cammino.
主に委ねていれば、人生におけるどんな障害も乗り越えることが出来ます。
1月15日
Ogni comunità cristiana dev’essere un’oasi di carità e calore nel deserto della solitudine e dell’indifferenza.
すべてのキリスト教共同体は孤独と無関心という砂漠の中で、愛と温もりのオアシスとなるべきです。
1月19日
Il Vangelo ci chiama ad essere “prossimi” dei poveri e degli abbandonati, per dare loro una speranza concreta.
福音は、貧しい人、忘れかけられている人に寄り添い、真の希望を与えるよう呼び掛けられています。
1月22日
Nella società di oggi, in cui il perdono è così raro, la misericordia è sempre più importante.
人を赦すことが、珍しいこの現代社会に於いて、慈しみの心を持つことは非常に大切な事です。
1月28日
Come cristiani, non possiamo essere chiusi in noi stessi, ma sempre aperti agli altri, per gli altri.
キリスト者として、自分のからにこもらず、他者に対し、また他者のために常に心を開いているべきです。
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現在、いつくしみの特別聖年が開催されているが、パパ様はこの「いつくしみ」に関するお話をたびたび繰り返されていらっしゃる。
いつくしみの業は、一つの心身業ではなく、キリスト者が持つべきいつくしみの精神の具体的な証し。「いつくしみの行為による業と、霊的な業」を信仰生活の中心に添えることが必要だ。
ところで、カラヴァッジョの作品に「七つの慈悲の行い」という絵がある。
『マタイによる福音書』第25章には、イエスの言葉として「キリスト教徒が最後の審判で永遠の救済を得るために励むべき善き行い」を説いている。すなわち、「飢えたものに食べものを与える」「渇く者に飲みものを与える」「旅人を迎える」「着るものを与える」「病人を見舞う」「囚人を訪問する」などの6つの善行がある。これらに「弔う者のいない死者の埋葬」を加えた7つの善行が「七つの慈悲(ミゼリコルディア)の行い」である。
キリスト教徒が迫害される日本のキリシタン時代の「ドチリナ」と呼ばれる公教要理にもこの教えが書かれてあり、当時信者はそれを暗記して、日々の生活の中でその教えを実践していたという。
隠れ切支丹の信仰に心打たれるもがあるが、しかし、これはキリスト者というよりも人間としての愛のいつくしみの行いとも言えるだろう。
愛に基づいた生き方をするか、それともエゴ、つまり自分だけを中心にする生き方をするかどうかで生きている意味が違ってくるように思える。
隣人を愛する具体的な生き方のヒントをパパ様のツイートから学んでみよう。
