最近どこへいっても話題になるのが「ファミリー•デー」。
近年ヨーロッパでは、「同性婚」が次々に認められている様になってきており、カトリック色の強いアイルランドやルクセンブルグでも「同性婚」が合法化された。けれど、カトリックの総本山であるヴァチカンがあるイタリアではまだまだその道のりは厳しい。
昨日1月30日、男性と女性の婚姻に基づく伝統的な家庭、家族の価値観を守ろうとするデモ「ファミリー•デー」がローマのチルコマッシモで行われ200万人の人々が集まった。
それに先駆け先週の土曜日、ミラノのスカラ座広場では”同性愛者の権利保障とパートナーシップ制度法制化を目指す"とするunioni civili(シビル•ユニオン)制度を求める人々が集まった。同性愛者も多い中、itamaのメンバーも多く出かけていたようで、FBに画像がアップされているのを見え、へ~っと思った。
先日もitamaの理事会の食事会で、いきなり「このメンバーの中で、唯一毎週日曜日のミサに出て、福音にそって真面目に生活しようとしているのは(?!)T子あなただけだけど、この問題をどう思う?」と話題を振られたから困ってしまった。
日本人同士の間では政治や宗教に関する話題は滅多に出てこないが、イタリア人との間では、というかitama関係では政治的な話題が多く、そうでなくてもイタリア語で話すのはしんどいのに、内心重ーくなってしまうのだ。
もちろん、性的マイノリティーの人たちが、差別を受けるのは良くない。人権擁護というのは大切だと思う。ただ、愛あるところに家族あり、自分の子供達にも人を愛せる人になってほしい、と思いつつ、もしある日同性の彼氏、彼女を連れてきたら、どう自分がリアクションしてしまうか?それがわからないのだ。じゃあ、聖書の教えに基づいて生きるのならば、私の隣人とは誰なの?その隣人を丸ごと愛せるのか?と思うと、すべてのことが堂々巡りとなってしまい、答えが出てこない悶々としたものがある。
皮肉のようだが、今日はミラノのアンブロジアーノ典礼では「聖家族」の祝日を祝った。ちなみにミラノ以外のローマ典礼はクリスマス後の主日、または12月30日に行わている。
伝統的にイエス、マリア、ヨセフの家族は「聖家族」と呼ばれ、わたしたち信者の家庭の模範とされてきている。けれど、イエス、マリア、ヨセフたちも決して平穏無事でなんの問題もない家庭ではなかった。一般的に、どんな家庭にも厳しい現実に直面する経験はあるだろう。病気や経済的な問題もあれば、お互いの心が通じあわない時もある。その痛みの中で、またその問題を背景に、孤立してしまうこともあるだろう。ストレス、トラブル、誰にも言えずいき詰まってしまうこともあるかもしれない。それが爆発する時が危ない。
夫は出張中。長女はボローニャに戻り、長男は補習授業。次男と一緒にミサの後、パロッキア(教区教会)の食事会に参加した。プリモはパロッキア側が準備し、セコンドは各自持ち寄り。私は、肉じゃがを持って行った。
近年ヨーロッパでは、「同性婚」が次々に認められている様になってきており、カトリック色の強いアイルランドやルクセンブルグでも「同性婚」が合法化された。けれど、カトリックの総本山であるヴァチカンがあるイタリアではまだまだその道のりは厳しい。
昨日1月30日、男性と女性の婚姻に基づく伝統的な家庭、家族の価値観を守ろうとするデモ「ファミリー•デー」がローマのチルコマッシモで行われ200万人の人々が集まった。
それに先駆け先週の土曜日、ミラノのスカラ座広場では”同性愛者の権利保障とパートナーシップ制度法制化を目指す"とするunioni civili(シビル•ユニオン)制度を求める人々が集まった。同性愛者も多い中、itamaのメンバーも多く出かけていたようで、FBに画像がアップされているのを見え、へ~っと思った。
先日もitamaの理事会の食事会で、いきなり「このメンバーの中で、唯一毎週日曜日のミサに出て、福音にそって真面目に生活しようとしているのは(?!)T子あなただけだけど、この問題をどう思う?」と話題を振られたから困ってしまった。
日本人同士の間では政治や宗教に関する話題は滅多に出てこないが、イタリア人との間では、というかitama関係では政治的な話題が多く、そうでなくてもイタリア語で話すのはしんどいのに、内心重ーくなってしまうのだ。
もちろん、性的マイノリティーの人たちが、差別を受けるのは良くない。人権擁護というのは大切だと思う。ただ、愛あるところに家族あり、自分の子供達にも人を愛せる人になってほしい、と思いつつ、もしある日同性の彼氏、彼女を連れてきたら、どう自分がリアクションしてしまうか?それがわからないのだ。じゃあ、聖書の教えに基づいて生きるのならば、私の隣人とは誰なの?その隣人を丸ごと愛せるのか?と思うと、すべてのことが堂々巡りとなってしまい、答えが出てこない悶々としたものがある。
皮肉のようだが、今日はミラノのアンブロジアーノ典礼では「聖家族」の祝日を祝った。ちなみにミラノ以外のローマ典礼はクリスマス後の主日、または12月30日に行わている。
伝統的にイエス、マリア、ヨセフの家族は「聖家族」と呼ばれ、わたしたち信者の家庭の模範とされてきている。けれど、イエス、マリア、ヨセフたちも決して平穏無事でなんの問題もない家庭ではなかった。一般的に、どんな家庭にも厳しい現実に直面する経験はあるだろう。病気や経済的な問題もあれば、お互いの心が通じあわない時もある。その痛みの中で、またその問題を背景に、孤立してしまうこともあるだろう。ストレス、トラブル、誰にも言えずいき詰まってしまうこともあるかもしれない。それが爆発する時が危ない。
夫は出張中。長女はボローニャに戻り、長男は補習授業。次男と一緒にミサの後、パロッキア(教区教会)の食事会に参加した。プリモはパロッキア側が準備し、セコンドは各自持ち寄り。私は、肉じゃがを持って行った。
はじめは参加者は100人くらいと聞いていたが、その倍くらいの参加者がいたのではないだろうか?ベールを被った子連れの女性も3名ほどいた。うわっ肉じゃがに豚肉入れちゃったじゃない!すぐに「豚肉入り」とシールを貼った。私たちのパロッキアは人種の坩堝。いろいろな料理が楽しめる。勧められてワインを飲んでいたら気分が良くなり、あちこちテーブルを歩いては知り合いと話ができたことは今日の恵み。
いつもオラトリオに遊びにくるチュニジア人のシャイマーのマンマと初めて知り合いになれて、彼女の作った料理のレシピをもらった。また、母親がイタリア人とエチオピア人のハーフだというイタリア人とも友達になった。彼女は、小学校の先生をしているが、大学で日本語を学び日本語を話せるので、ぜひ彼女と友達になってほしいと彼女の母親に頼まれていたのだ。在ミラノ日本人会のイベントに声をかけたら来てくれていたようだが、私が当日あまりにも多忙で会うこともできず失礼をしていたが、今日は色々と話せた。日本語でお祈りもできる、というのでぜひ2月の日本人ミサにはどうぞ、と声をかけてみた。
いつもオラトリオに遊びにくるチュニジア人のシャイマーのマンマと初めて知り合いになれて、彼女の作った料理のレシピをもらった。また、母親がイタリア人とエチオピア人のハーフだというイタリア人とも友達になった。彼女は、小学校の先生をしているが、大学で日本語を学び日本語を話せるので、ぜひ彼女と友達になってほしいと彼女の母親に頼まれていたのだ。在ミラノ日本人会のイベントに声をかけたら来てくれていたようだが、私が当日あまりにも多忙で会うこともできず失礼をしていたが、今日は色々と話せた。日本語でお祈りもできる、というのでぜひ2月の日本人ミサにはどうぞ、と声をかけてみた。
結局子供達のおやつ提供の仕事も引き受け午後も居残り。子供達が、司祭たちと何かゲームをしている間、暇を持て余しているとモロッコ人の女性に「ヘンネをしてみない?」と声をかけられ、一度やってみたかったので、是非是非!といってやってもらった。ヘンネとは薬草から作られたパウダーを使って手の甲に絵を描くモロッコの伝統的なおしゃれのひとつ。パウダーを水で溶き、注射器に入れ、針先で細かい絵を描き、乾かすのだが、粘土状のものが乾くまで1時間くらい待っただろうか?少しずつかゆい感じがしてきて、ぽろぽろと粘度が剥がれ、手の甲にくっきりと絵が浮かんでくるのだ。
中指と薬指の根元のうっすら紫色の痣は、昨日空手の稽古のパンチの練習でできたもの。あちゃ~
その後に、オラトリオに来ている子供達にとって「オラトリオとは?」というインタビューのビデオが流された。「第2の家族」「成長する場」と答えている子供や、指導者たちがいて、そこに参加できる喜びを感じた。次男は途中で帰宅してしまったが、それでもじわじわオラトリオにくるようになっては来ている。教育、信仰すべて忍耐よね、と一緒にオラトリオを手伝っている友人と話し、思いを分かち合えた。
余談だがドラマ•「家族ノカタチ」を見ている。誰にも邪魔されない空間を夢見てしまうが、やはり家族とは、時に慌ただしく、時に鬱陶しい。けれど、人間の本質や人類の歴史を考えた時、本当の「伝統的な家族」とは、<人が人として互いを慈しみ、必要とし、愛し合い、許し合い、そして幸せも苦難も共に乗り越える強い絆で結ばれた関係>を言うのではないだろうか?と改めて思った。
http://www.avvenire.it/Cronaca/Pagine/Famiglie-in-piazza-sintesi.aspx

