新しい命 〜 主の洗礼 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



今日は、ローマ典礼もアンブロジアーノ典礼も、イエスがいとこの子供であるジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)からヨルダン川で洗礼を受ける「主の洗礼」を祝った。イエスが誕生して30年も経った後の出来事だ。

地元パロッキアでのミサでも、「主の洗礼」はすべての人の罪の赦しのためであり、すべての人の自由のためであったと話された。

帰宅して、今日のパパ様の”Angelus”(お告げの祈り)を聞いた。https://www.youtube.com/watch?v=xAM9T-t3KPk

キリスト者は、洗礼によって受けた新しい命を毎日証すよう招かれている。それは、兄弟姉妹たちに向けた骨の折れる歩みではあるが、愛の喜びでもあり、聖霊の後押しが必要ともおっしゃる。

ミサでは、共同で信仰宣言が行なわれたが、私たちの毎日は、死と復活の繰り返し。わがままな自分が死に、新しい自分に生まれ変わる。生きている私たちは、先に向かって歩む。命を運んで行くことが生きることではないだろうか。

話は前後するが、今日のAngelusではパパ様は、「みなさんに質問です。ご自分の洗礼式の日時を覚えていますか?それは神の子として生まれ変わった日でもあるので、お祝いするべきです。」とおっしゃった。「洗礼記念日を祝うという事は、キリスト者として、教会員として、そして新しい人間として生きる義務、責任感と共にイエスに忠誠を誓う事を再び断言する事を意味します。」とパパ様。

今年は、私にとって洗礼10周年という記念すべき年。復活前夜祭は4月15日の土曜日ではあったが、(昨年は夜の9時からミサが始まったが)当時は夜の11時から始まり、私の洗礼の時刻が0時を多分過ぎていたのではないか?と思う。洗礼の儀式の写真を探したら、やはり16日付になっていた。4月の半ばであったのに、震えるほど寒かった。しかも、頭に水を浴びた時は、悲鳴をあげそうに冷たかったのを今でも記憶している。

生活は一生の準備。聖なる時間がいつ訪れようと、いきいきと生活していきたい。無駄にする時間はない。次の瞬間のために、心を整えて生きていこう。