年始初のオラトリオ。
寒いし誰が来るんだ?と思ったが、地元のイタリア人がちらほら、あとはアラブ人の中学生が来ていた。中学生と言っても、11、12歳。
クリスマス前、司祭が地域の祝福で巡回中、私一人の時に彼らにやりたい放題やられ、私もブチ切れて怒鳴りまくり、子供同士の喧嘩と言えば、体を張って止めに入っているので、私自身は憂鬱であったが、あちらは私の顔を見ると、うわっあのおばちゃんだ!というような顔をして、知らぬふりつつ絶対ふざけなくなった。「なめんなよ!」こちらも絶対強気で挑まないといけないから、自分の子育てとはまた違ったエネルギーを使うのだ。
昨日の雨でサッカーのグランドはぐちょぐちょ。あっという間に引き上げて、オラトリオの中のピンポンやビリヤルディーノと呼ばれる手動サッカーをしにきた。遊んで興奮して声を上げるのは構わないが、ボールが台に引っかかる度、片側を持ち上げて、音を立てて台を落とす。「ピアーノ!壊れるでしょう!今やったの誰???」今日はそれ以上の騒ぎにはならなかった。
6時過ぎには、「今日はお終い。」といって担当司祭が門を閉めたので、私も帰れるか?と思ったら甘かった。オラトリオのバールやあらゆる部屋の整理整頓が始まり、その時刻になって高校生たちが手伝いに来た。しゃ~ないわ。家庭で不要になったおもちゃや本をオラトリオに持って来る人がいるが、ゴミ収集場になってもいけない。ディズニーなどの大量のビデオをや捨てるものをまとめた。年末におもちゃのリストを作って、司祭に送付しておいたが、またいくつか出てきた。もういいわ。きりがない。
トイレ掃除もしたが、モップ用の棒がどこにも見当たらない。おかしいわ、何本もあったはずなのに。結局明日買い出しにいく。
いきなり床掃除を始める夫婦が現れた。???イタリア人じゃないみたい。どうもロム(ジプシー)のようだ。彼らに仕事を与え、多少のお金を払っているのだろう。それはそれで、良いことだと思う。お金を恵んでもらうことを権利のように主張し、道端にゴミを巻きちらし、挙句の果てに、何気に見ている人を罵倒する姿は見たくない。3人の子供が遊んで待っている。処分しようとしていたビデオを覗いていたので、欲しかったらどうぞ、と言ったが、父親が大声でなにやら怒鳴っている。バールの棚を整理していたら、未使用の小さなボールが出てきたので、「欲しい?」というと、大喜びだった。小袋のポテトチップスを買ってあげた。
広い敷地を一人で掃除していると、オラトリオで遊んでいる子供を迎えにきた親で、見るに見かねて手伝ってくれる人もたまにいる。そういう人たちは必ず外国人である。また、少し障害のあるエジプト人の16歳の少年が毎日バスケットをしにくるのだが、話しかけても絶対答えない。逆に3ヶ月経ってやっと母親が声をかけてきてくれるようになった。
問題も多いオラトリオだが、恵みも多い。昨年、在ミラノカトリック日本人会での奉仕に一区切りつけ、地元パロッキアに待ってました!のように引っ張られた。ずっと言い訳をしてきたし、正直いって面倒だな、という気持ちがぬぐえなかった。
けれど、ふとオラトリオの壁に、昨年子供達に教えた折り紙教室での感謝の言葉が貼られてあるのを見つけ、嗚呼と思った。どこの教会も学校も日本人がいると、折り紙教室に駆り出される人が多いと思う。国際交流という目的もあるだろうが、やはり人に仕えるということは、自分の身を低くくし、自分を無にすることだと思う。
「わたしは仕えられるためではなく、仕えるために来た」
私たちは、この言葉の中にどう生きることができるのか、よい機会を与えていただいたと思う。神に感謝。
