賢者の贈り物 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



昨日も書いたが、何かと気ぜわしい、この季節。
なんでこの時期にそれもするかな...どさくさに紛れていろんなイベントが入る。
今日なんてストまであった。

イタリアに来た頃は、日曜日など空いているお店などなかったが、最近では空いているスーパーも多いし、ショッピングセンターもだいぶ増えた。けれど、12月に関しては、日曜日はどこも開けるようだ。特に、クリスマス前に、イタリアの伝統行事?として家族で過ごす人がほとんどだから、そのプレゼントを買い求める人でどこも人人人。

大切な人に、感謝の気持ちを込めてプレゼントはしたいと思うが、だれもかもにも...というのは、どうなんだろう?クリスマスというと物やお金が飛び交う商業主義にちょいと冷ややかな目でみてしまう。そんな中にいながらも、静かに「愛の本質」を想い、目に見えない何か大切な物を思う心を忘れないようにしなくてはいけない。

ところで、クリスマスというと思い出すお話しがこれ。タイトルを思い出せなかったのだが、貧しい夫婦がクリスマスプレゼントに買うお金を工面するため、自分の大事な物を売ってしまう、という物語。妻は、夫が大事にしている懐中時計を吊るす鎖を買うため、自慢の髪の毛をばっさり切り落とし、売ってしまう。また、夫は、妻が欲しがっていた櫛を買うために、自慢の懐中時計を質に入れてしまうのだ。物語の結末では、一見愚かな行き違いは、最も賢明な行為であったと結ばれている。彼らこそ「賢者」であると。

ところで、もともとクリスマスプレゼントを贈る、という習慣は、イエス•キリストが誕生した時に、贈り物を運んでいった「東方の賢者」が考え出したものといわれている。

まあ、カトリック的に言わせていただくと、イエス•キリストこそが、神様から私たちへの贈り物、といえよう。そして、毎日私たちが出会う人は神様からの贈り物。現在の生活も神様からの贈り物。これからの生活は神様への贈り物となるよう賢く生きなくてはならない。

時間も命も神様からのたまものです。それは自分のためにだけ使うものではありません。無償でいただいたものですから、自由に、条件をつけずにひとに与えてください。そうしてこそ、たまものは生かされるのです。まいた種は十倍、百倍の実を結びます。結果を気にする必要はありません。by ヴァレインタイン•デ•スーザ神父

今日1日、どうぞ私を愛される人、愛する人にしてください。