今年の夏、芥川賞を受賞したお笑いタレント・又吉直樹氏の小説「火花」が「輪読の会」(勝手に命名)から回ってきたので読んでみた。
お笑い芸人の二人。奇想の天才と呼ばれる「あほんだらの神谷」と彼を師と慕う後輩、売れない芸人「スパークスの徳永」。
笑いの真髄について、またどうでも良さそうなことを議論しながら、生きて行く。テンポよい関西弁は、楽しいが、どこまで本気なのかわからないような会話には、芸や人生のもがきや空回りがじわじわと感じられる。著者の又吉直樹氏の漫才は見たことないが、芸人が売れるまでの下積みの時代、つまり貧乏生活は想像を絶するものだという。「好きなことやって、面白かったら飯食えて、面白くなかったら淘汰される。それだけのことやろ。」確かに、売れても一発屋の場合も多い。
笑いの真髄について、またどうでも良さそうなことを議論しながら、生きて行く。テンポよい関西弁は、楽しいが、どこまで本気なのかわからないような会話には、芸や人生のもがきや空回りがじわじわと感じられる。著者の又吉直樹氏の漫才は見たことないが、芸人が売れるまでの下積みの時代、つまり貧乏生活は想像を絶するものだという。「好きなことやって、面白かったら飯食えて、面白くなかったら淘汰される。それだけのことやろ。」確かに、売れても一発屋の場合も多い。
関西出身の友人は人に「面白い」と言われることは、最高の褒め言葉だという。お笑い芸人は、常に面白いことを言って人を笑わせていないといけないのだから、疲れる職業だなあ、と思う。しかも、「阿呆なフリして本当は賢い人間だとお客に悟られてはいけない。何も考えずこの人たちは阿呆だな、と笑ってもらえばいい」という笑いの哲学は私には全く理解を超えるものであったが、淡々と綴る阿呆とは思えない人生観に逆に虚しさを感じてしまった。芸人であり続ける姿、これは又吉氏の理想と孤独、世界観を描いているのだろうか。
ところで、芥川賞受賞の当日、「報道ステーション」で古舘キャスターが「芥川賞と本屋大賞の区分けがなくなってきた感じがします。」と皮肉ったり、和田アキ子が彼女の番組で「何も感じなかった」と感想を述べている記事を読んだが、感想は人それぞれだが、彼の会話や風景描写は読みどころだと思う。
ただ、ラストがあまりにもシュール過ぎてそこまでするか?という笑うどころか納得のいかないもので、徳永同様不愉快になった。苦笑
また芥川賞受賞で、世間的には大騒ぎだったが、個人的には、最後のシーンの夜空に打ち上げられた花火はお世辞にも派手とは言えず、とても地味な印象だった...と、この小説「火花」もそんな印象が残った。
ちなみに来年, ストリーミングで有名なNetflixと吉本興業により映像化し世界へ配信されるのだそうだ。どのような反応が出るであろうか?ラストシーンでぽしゃらないといいが。苦笑
また芥川賞受賞で、世間的には大騒ぎだったが、個人的には、最後のシーンの夜空に打ち上げられた花火はお世辞にも派手とは言えず、とても地味な印象だった...と、この小説「火花」もそんな印象が残った。
ちなみに来年, ストリーミングで有名なNetflixと吉本興業により映像化し世界へ配信されるのだそうだ。どのような反応が出るであろうか?ラストシーンでぽしゃらないといいが。苦笑
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO84280390S5A310C1000000/
