クリスマス時期になると思うこと | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



クリスマスまで1ヶ月を切った。
街のあちこちにクリスマスの飾り付けを見かけるようになった。ちなみにミラノはクリスマスツリーやキリストの生誕を表す人形のプレセピオは、ミラノの守護聖人である聖アンブロージオの祝日(12月7日)に出すというのが伝統的。

ところで、毎年クリスマス時期になると、論争になるのが、学校でクリスマス行事を祝うな、という件。

ミラノは移民も多く、多国籍、多文化であるので、義務教育の場で宗教色は出すな、ということなのだろう。クリスマスツリーはダメ。プレセピオはダメ。生誕劇はダメ。今年ははクリスマス曲(canto di Natale)もダメ...という記事を読んだ。

例えばそれを、イスラム教徒の家庭やら別の宗教の家庭が反対をするのならともかく、声が上がるのは、イタリア人からであって、たぶん無宗教と言うよりは、アンチカトリック?からではないかと思うことさえある。

以前も書いたことがあるが,「イタリアの学校で宗教の授業はやめよう」という嘆願書がなんとFB上で回っていたことがある。

理由としては,
*イタリアは世俗国家であって,特定の宗教を公立の学校で強要すべきではない。
*宗教の教師は,他の教科の教師と違って,国の教育養成を受けている訳ではない。
*カトリックは,他の教科に対し,教育的な衝突を生じさせる。
*義務教育における習得教科として,カトリックは,唯一有益ではない教科であり,一般文化として有益ではない,云々...。

いやあ、偏った見方だなあと思う。今の時点、宗教のクラスは選択制だが、希望者が全体の半分以下になることがあれば、それは考えものだが、存続しているということは、やはり授業を受ける人もまだそこそこいるということ。そして、宗教の時間と信仰は全く別問題ということが認識されていない。単なる排除主義であり、過剰反応のように思えてならない。

私は、何事も吸収できることがあれば、それはトライしたいと思う欲張り人間なので、選択で授業が選べるのなら喜んで選ぶ。もちろん子供達もそうしているが、長女は高校を卒業するまでに宗教の時間を最終的に13年受けたことになるが、最後は、ヴァチカン(教皇庁)の組織まで勉強していた。将来、人生にとって直接有益になるかはわからないが、知らないよりは知ってても良いではないか?と思う私は、お気楽主義か?!

アメリカでも、似たような問題があるようで、「ジングルベル•ロック」は良くても「きよしこの夜」はダメ。オフィスでは、「クリスマス•パーティ」ではなく、「年末パーティ」。「クリスマス休暇」ではなく「冬休み」...など。

国による宗教活動は禁止されているが、「信教の自由」は日本をはじめとする自由主義国家では普遍的なものだが、「政教分離原則」はそうではない。「信教の自由」を守るために「政治は宗教に干渉してはならず、宗教も政治に影響力を及ぼしてはならない」といういわゆる「政教分離」の原則は、意外にヨーロッパ諸国の多くで「キリスト教」の名のつく政治団体は数多く存在しており、矛盾を感じる。とはいえ、キリスト教的精神が政治哲学や理念に違反しているとは思えない。

何れにしても、一度神経質になり始めると、徹底的に排除しなければ気のすまない人もいるわけで、それが現状況なのだろう。他宗教を保護するためにキリスト教を排除する結果、余計に宗教間の対立が深まる...ということもあり得なくはない。決して学校も信仰を薦めているわけではない。少なくともイタリア文化の一つとしてなぜ受け入れられないのだろうか。信仰はその先にあるものだ。

クリスマスは「平和」の象徴。心静かに過ごしたいものである。