今日11月15日、ミラノのアンブロジアーノ典礼は、世界のローマ典礼よりも2週間も早く「待降節」に突入した。
いよいよクリスマスだ。
司祭たちも紫色の司祭服に変わった。
今朝のミサはルカによる福音書25章5節から28節で、神殿崩壊の予告、迫害の予告、エルサレム滅亡の予告など、世の終わりというよりは、それに先立つ混乱、戦争や暴動、民族紛争(時に、大地震や飢饉や疫病なども含まれるだろう)が含まれて居る部分で、ここ数日の事件を思い起こし、ぞっとした。これは1世紀、イエスが世を去る前に、将来起こるはずのことについて語ったことである。
日本にいると、他人ごとというかピンとこない話のように聞こえるかもしれないが、欧米にいると、こういった現象は切実だ。ミラノにいて、宗教を持ち、しかも多民族、多宗教を日常的に見ていると、私が存在する場所によってはいつ迫害•殉教にあってもおかしくないと思う。
パパ様は、現在の状況はある意味、断片的な第3次世界大戦に直面していることだと指摘されている。戦争をあおり、兵器の売買で利益を得ている人たちも多い。
また、上記福音書は、訓戒でもある。厳しい迫害や大きな苦難の中にあっても神に信頼するように、と促す、「励まし」のメッセージである。どんなに危害を加えられても本当に大切なものは奪われることはない。過ぎ去り、滅びゆくものは、目に見えるものだけ。何が本当の永遠であり、滅びないものか。結局「信望愛」にたどり着く。「愛は決して滅びない。...信仰と、希望と、愛、この3つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(1コリント13:8-13)
午後からは月に一度行われるミラノカトリック日本人会のミサがあった。ここでも、この世の中は、結局力がものをいう世界なのかと疑わざるを得ないような危機的状況について触れる。私たちの人間性を尊重する理性はどこへ行ってしまったのだろう?

夜は夜で、ミラノ、サンシーロ小教区の六つの教会が集まり、サンタンブロージオからダヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタマリアデッレグラツィエ教会までろうそくを灯しながら祈りの行列をなした。待降節第一主日の恒例の行事である。サンタンブロージオもサンタマリアデッレグラツィエもお御堂がいっぱいになるくらいの信者が集まった。何よりも今回は中高生が多かったことが嬉しい。今日は朝からどっぷり教会行事だったが、また明日から3日間黙想会が始まる。
この待降節、私たちの周りで誰が助けを必要としているか、誰に目を向けるよう促されているか、そして何ができるのか?小さくてもできることを一つずつ行える、待降節を過ごしたいと思う。
