物騒な世の中 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



昨夜8時15分頃、ミラノの住宅地でユダヤ人ラビが襲撃され、幸いにして一命は取り留めたが、ユダヤ人社会に不安が広がる、というニュースを読んでぞっとした。

犯人は「殺してやる」というような言葉を叫び逃走したというが、反ユダヤ教の犯行は確実のようだ。

在ミラノ邦人であれば、皆知っていることだが、日本人学校の真ん前はユダヤ人学校があり、保育園から高校(言語課、理数科、技術学校)まであり、立派なレジデンスまで隣接している。彼らは自ら警察を雇って警備してもらっている。事件現場はその目と鼻の先の場所。火曜日だったら空手の稽古で必ずいる時間帯だ。

ところで、土曜日は、ユダヤ人にとっては安息日。全ての労働が禁止されているそうなので、彼らの経営するバールやレストランも皆おやすみ。午後に見てすぐにわかるユダヤ人を多く見る。女子どもは結婚式に参列するのか?とはいわないが綺麗な身なりをし、男性も若い子だとキッパーと呼ばれる頭の上のちょこっと乗った帽子をかぶり、また黒ひげの帽子をかぶった黒づくしの人も多く見かける。  みな礼拝に出るのだろう。

また、何度も書くが、ミラノは人種の坩堝。そしてまた、宗教の数もかなりあり、それこそ、その話題に触れるのはタブーでありながらも新興宗教も数多く存在する。日本人学校からそれほど遠くない地域には、エジプトのコプト正教会もあり、彼らはそれこそ金曜日、土曜日、日曜日と教会のミサに通っており、夕方のバスに乗ろうものならエジプト人の大家族に遭遇する。その中にはItamaの生徒や家族も多く、「マエストラ~!」と言って手を振られる。彼女たちと話していて、わかったのは、イタリアで生まれたコプティ教徒たちは、イタリア語で祈りを唱えられても、母国語で唱えられない子が多いのだそうだ。我が家の子達も同じ。イタリア語では「主の祈り」や「アヴェマリア」が唱えられても日本語は全くついていけなかった。余談だが、エジプト人(女性)でもイスラム教徒たちよりもコプティ教徒たちの方が開放的に見えるのは、個人的主観が強すぎるだろうか?

話は基、用事があってユダヤ人学校の裏を通ったら、普段は学校の前だけを警備している警察の車が裏にも止まっており、しかも大きく、中には警官が4、5人が乗っていた。ユダヤ人学校やシナゴーグは警備が更に強化されたのだろう。今年の1月にはパリでユダヤ食料品店での立てこもり事件があったが、もともとはユダヤ人学校がターゲットになっていたのではないかという見方もあるようだ。フランス政府はシナゴーグやユダヤ人学校の警戒に数千の警官と軍隊を動員したが、そういう意味ではミラノのユダヤ人学校は静観としていた。その前で日本人学校は学校行事があったようだが、知らぬが仏か?

物騒なのは日本も同じであろうが、宗教や人種をめぐるいわゆる憎悪犯罪に対し、どう対処すべきか。怖いなあ。