瞑想 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



今日、空手の稽古の前に瞑想があった。

専門的な座禅とは違うとはいえ、片足だけを組む半跡朕座(はんかふざ)、そして両手を栗型に合わせた法界定印。電灯は消してろうそくの灯のみ。背筋を伸ばし、呼吸を意識する実質20分。

ところでこの年末、あまりの慌しさに頭が飽和状態。頭では記憶しているつもりでも、言うこと、書くこと細かい間違いばかり。指摘され、そんなはずない!と思っても思違いの多いこと!これは、頭を掃除し、心を落ち着けないとまずいぞ!

暗い中で、呼吸を整えるだけでも、心は落ち着いてくる。それにしても雑念の多いこと。

瞑想ではなく、祈りもそう。静かな教会のお御堂で、長椅子に座ったり、マリア像の前に跪いたりするが、はじめは感謝や賛美をささげていても、だんだん愚痴になり、うらみつらみになり、おっいかん!と気づいて、軌道修正...なんてことも少なくない。

今回の瞑想も同様。雑念が湧いてきたところで、いかん、いかんと雑念を打ち消そうとする、その繰り返し。これは、ある意味潜在意識らしい。集中力とセルフコントロールを低下させる要因だ。よく試験中、集中して問題を読もうとすると、余計な考えが頭をよぎる...まさにあれだ!たとえ固い意思を持っていても、絶えず外部から攻撃を晒される。つまり誘惑に打ち勝つのは「無の境地」を極めるということか。「禅」の根本的な思想に到達する。でもさ、それってさ「救いはないんだよね」思想や哲学と宗教の違いなどまたまた余計な考えが頭をよぎる。苦笑

2回立ったり座ったり、落ち着かないイタリア人小学生がいた。きっと全く理解できない空間だったことだろう。それでも最後までじっとしていた小・中学生は偉い。ちなみに、後から長男、次男にどうだった?と聞くと、長男は、腰が痛かった。お腹が空いた。寝そうになったと言っていた。次男は、何も頭になかった!という。すでに無の境地に到達か?!爆 普段から感覚的に動く彼は、何も考えないと下手に意識しないから、逆に効果的なのかもしれない。

潜在意識をシャットアウトするのは非常に難しいが、あえて呼吸に意識することで、時に呼吸すら忘れてしまってもいる瞬間が現れる。これが無だったのか、意識がただ飛んでいたのかよく分からない。ただ眠ってはいなかったので、あれが無の感覚だったのか...??? とはいえ、あっという間の20分だった。頭が軽くはなったが、その後の棒術の稽古では、すっかり覚えたものが全て消えていたから焦ったが。爆

実践とは、心の中で思うことではなく、実際自分自身で行動を起こすということ。1日3分でもいい。継続して瞑想の訓練をすることで、次第に「空の感覚」をつかめるようになってくるらしい。忙しいからこそ、頭の掃除が大切だ。