聖者の行進 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



今日から11月に入った。2015年も残すはあと2ヶ月。早いものだ。

ここミラノのアンブロジアーノ典礼は、来週「王たるキリスト」をもって再来週からついに待降節に突入。あっという間のクリスマス。あっという間の年末だ。

さて、11月はカトリックにとっては、「死者の月」とよばれている。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/dead.htm

11月1日は「諸聖人の日/Tutti i Santi」。すべての殉教者と聖人の祝日。私たちは諸聖人が、今は神のもとにあって、私たちのために取りなしてくださっていることを信じ、諸聖人とともに喜んでこの日を祝う。本来は祝日で休みだが、今年は日曜日に当たってしまった。ちっ。

そして、翌日11月2日は「死者の日」。死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、死者のための祈願を捧げる。休みではないが、御墓参りに出かけたりしているようだ。「死者の月」は、そんな死が終わりではなく、神と共に生きること。そして、目に見えない世界に入ったすべての人との連帯を意識できる月でもあるように思える。

ところで、今日の「諸聖人の日」のミサの入祭の曲は、「Camminando sul sentiero」いわゆる「聖者の行進(when the Saints go marching in )」だった。日本語の「聖者が街にやってくる」という曲も同じ。     
https://www.youtube.com/watch?v=0dOphzGGr1I

🎶信仰の道を歩みながら、太陽が永遠に輝く場所に皆集う。
天に聖人達の長い行列がやってくる
おお主よ、私にもその場所があることを確信している。

聖人になることがなくとも、天の神のもとで安らかに憩うことを誰もが願っているはず。だから、神様に私にも場所を取っておいてね!というのは、非常にお茶目な感じ。

また、本日のヴァチカンでの「お告げの祈り」では、パパ様は、「聖人は信仰の模範」と仰った。けれど、劣聖した方々だけを聖人と呼ぶのではなく、人生において福音に生きたキリスト者の証、「隣のドア」であることが大事と仰った。

また、優しい行為、寛大な助け、話を聞いてあげる時間、訪問、声かけ(よい言葉)、微笑み...一見取るに足りなく見える行為も、神の目には永遠に見えます。なぜならば愛や哀れみの心は、死よりも強いからです、とも付け加えられた。

聖人になるのは、聖職者の特権ではない。私たちが授かった賜物を他社のために与えることが、私たちの命、そして賜物が生かされることだろう。よりよく生きるために勇気を持ちましょう。


昨年書いた「聖者が街にやってくる」
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11946564575.html