空手の夏休みの課題(子供のみ)であった「サバイバルノート」の授賞式が先週行われた。
逆境に負けない不屈の精神や何事にも動じない心を育てる一環がそのノート(日記)の目的であったが、我が家の愚息らは、だじゃれならピカイチ間違いなかったはずだが、きっと脱力そのものの日記だったことだろう。ということで、おこぼりにあずかり参加賞のみ頂いた。まあ、他の家庭のお子さんを見ると、情けなくなるので、我が家は我が家、と思うことにしておこう。常に上には上がいるもんだ!
(ちなみに一位だった日記はこちら→ http://ameblo.jp/unicolleone/entry-12073416932.html 日本の小学6年生の日記だ。)
逆境に負けない不屈の精神や何事にも動じない心を育てる一環がそのノート(日記)の目的であったが、我が家の愚息らは、だじゃれならピカイチ間違いなかったはずだが、きっと脱力そのものの日記だったことだろう。ということで、おこぼりにあずかり参加賞のみ頂いた。まあ、他の家庭のお子さんを見ると、情けなくなるので、我が家は我が家、と思うことにしておこう。常に上には上がいるもんだ!
(ちなみに一位だった日記はこちら→ http://ameblo.jp/unicolleone/entry-12073416932.html 日本の小学6年生の日記だ。)
ところで、先日ある補習校ママと話していたら、ミラノ郊外で空手を習っている息子さんがいらした。彼は、すでに黒帯で、大会にもよく入賞していたようだが、道場やその道場が参加している協会では、定期的に”ステージ”と呼ばれるいわゆる有名な師範との特別な練習会などが行われる。料金もそこそこに高い。義務ではないが、まあ周りが出ていて、出ないと疎外感を感じることもあるだろう。そこでは、毎週末、午前と午後に別々の研修会が行われ、参加すると、その証明書ならぬものが帯にホッチキスでつけられるそうで、その数であからさまにその練習状態がわかるという。けれど、あまりにも儲け主義むき出しで、武士道精神のかけらもなく、結局そこの空手をやめ別の武道を始めたという。
「武士道精神」って何よ?子供に分からせるため、簡単な本を買っておいたが、誰も読まない。苦笑 もう一度読み直してみた。
けれど武士道精神とは、決して武士だけの思想ではなく、日本人すべての思想的根幹だったのではないだろうか?儒教、論語などの道徳観、倫理観とてしかり。まあちょっとやそっと本を読んだり、映画をみたとこで語れることではないが、宗教を敬遠する人が多く、道徳やら、生きる指針さえも教えなくなってしまった世の中、「善」というものが、絶対的なものではなく、相対的に捉えられるようになると、時代によって流されてしまう危険性がある。
先日、太極拳をやめて、空手をすることにした。と以前のマエストロや仲間に話したら、「君も所詮オリジナルに戻るか」といって笑われたが、ある意味、武士道精神は日本の根底にあるものでは?とやはりその時、思ったものだ。
個人的に武士道にみる女性観、女性像というのに非常に興味がある。武士道は自己犠牲の精神であるとか、女性には奴隷的服従を求めていたと聞くこともあるが、本当にそうだったのだろうか?自分を捧げることは、損だとおもえば犠牲だが、それを喜んですれば奉仕となる。自分の分をわきまえれば、決して自分が奴隷とは感じないだろう。「男女の差」も初めから肉体的にも違いがあるのだから、そういうものだと思って、例えば夫婦の場合、一心同体でお互いを信頼し、分業すれば個人の主張も少なくなるはず。(あ~私は、明治か昭和初期生まれか?!)聖書に書いてあることと同じだな...と思っていたら、「武士道」を書いた「新渡戸稲造」はクリスチャンであり、当時その「武士道」をよく評価し、理解したのは、やはりクリスチャンだったという。もしや私のベースはここだったのか?とも改めて思った。
また、新渡戸稲造は、「家庭的であれ、そして女傑であれ」と言っている。
武家の若い娘は、感情を抑制し、神経を鍛え、薙刀を操って自分を守るために武芸の鍛錬を積んだという。けれど、それは戦場で戦うためではなく、個人と家の防衛のためだったという。凛として生きる女性は格好いい。全てにおいて覚悟が極まり、高潔な精神を感じる。「松のように強く、竹にように真っ直ぐに、梅のように気高く、女の操を守りなさい。」(杉本鉞子著「武士の娘」引用)操というのは、妻として嫁として母として、できる限りの努めをすると言うことらしい。)
人間性を磨く質実な生活。女武士道に習いたい。
あっぱれ女傑! 女は強し、母は強し。
人間性を磨く質実な生活。女武士道に習いたい。
あっぱれ女傑! 女は強し、母は強し。