帰国中の移動はいつもバスと電車。
たっくさんの人がスマホをいじっているなあ、と思う。もちろん、ネットで新聞を読んでいる人もいるだろうけれど、たいていがFBやLINEのページを開いている。または、ゲーム。音楽を聴いている人も多い。少なくともイタリアのように、耳元から大きなボリュームで音楽がしゃかしゃか聞こえてくることはないし、ましてや大きな声で電話で話している人は誰もいない。7人掛けに何人スマホをいじってる?本を読んでいる人は何人?思わず数えてしまう。
まあ、そういう私もポケットWifiを持ち歩いているときは、スマホをいじることはある。ほとんどは、ブログのネタのメモとか、気づいたことを書き溜めているのだが、気づくとすぐに目的地についてしまう。あれっ今日は早く着いた?てなことはない!ネットは魔法にかかったくらいに早く時間が過ぎてしまう。便利は便利だが、下手すると中毒になる。
さて、イタリアでは、電車やバスに乗っていて、降りる駅の前あたりくらいから、みな出口のほうへ近づいていく。混んでいると「Scende laprossima?」 次降りますか?と声をかけ、そうでない場合は、さっと場所を開けてくれる。意外に礼儀正しい。それが、日本だとドアが開いてワンテンポ遅れて、何も言わずにどんと押しながら外に降りていく人の多いこと!「何か一言言えないかなあ。」聞こえるように言ってやる。それが礼儀ではないか?しかも、多くの人が、自分の世界にひたり、外気をシャットアウトするイヤフォンをしながら、障害物のごとく、前の人を押してゆく、不届き者め! まあイタリアでも、出口まではうまくたどりつけても、いざ降りる前に、先に乗ってくる人も最近は多い。「降りる人が先っ!」また、ここで聞こえるように言う。これはクレームではない。モラルの問題。誰も教えてくれず育ったのなら、どこかで誰かに注意
されなきゃいけない。「でも刺されないでよ!」と友人に言われるが。苦笑
先日、子供たちと母と出かけた帰り、バスに乗ると既に込み合っていた。歩き疲れ坐骨神経痛のある母は立っているのがつらい。しかも、見た目が若いから年寄りに見えない、というのも難なのだが、優先席は若者が占領している。声をかけて席を譲ってもらおうとも思ったが、母が逆に気を使って嫌がるのを知っていたので、早く誰か立たないかなあと思っていたら、わりにすぐに席が空いた。「おばあちゃん、ここ座って!」長女が母を呼び、そこへ座らせた。そこで、一言。「あ~嫌だ。日本人って冷たいね!」と長女。周りはシーン。
ある日、長女と出かけた際、バスに乗っていたら、やはり満席。優先席だけ空いていた。人が来たら立てばいいよね?といって長女が座ったが、すぐにお年寄りが乗ってきた。彼女はすぐに席を立ったし、譲ろうとしたが、だれも座らず。その後も数停留所からお年寄りが乗ってきたが、やはり誰も座らず。「なんで?」という。座りたくなかったのかもしれないし、乗り込んで一瞬、そこに人がいるのが見えたら、何度も見返すのは、嫌だと思う人もいるんじゃない?と答えた。それが恥ずかしい、座りたいと思われたくないと思う人もいるだろう。(母はそのタイプ)ましてや、声もかけられたくない人もいることだろう。それはイタリアでも同じ。「どうぞ」といっても、無視されたこともあるし、すぐに降りるからといって座らない方もいるし、逆に、ここは年寄りの席だ~、若い者はどけ~!といって、乗ってきたと同時に、杖をふりまわす男性もおり、目が点になってしまったこともある。
ところで、今年は、長女が一人であちこちで歩いているが、その際の人間観察の着目点が面白い。
先日、ミラノの友人とディズニー・シーへ出かけたときのこと、あまりにも多くの人がペアルックで驚いたというのだ。「カップル、女子グループ、なんで同じもの着てるの?自分がないの?個性なさすぎ!」と私よりも辛口だ。苦笑 同じものを着て、同じものを共有する連帯感を感じてるんじゃないの?と私も、あまり興味のないことなので、返事もあいまい。
彼女たちは、毎年帰国中一緒に出掛けるが、どこへ行っても英語で話しかけられるという。お友達はハーフであるので仕方ないが、彼女たちのスタイルがあまりにも個性的だからやはり日本人的でないという判断をされるのか?毎回日本語で答えても、また英語で聞いてくるの?なんで?という。「英語を話したいのか、それともきっとあなたたちには日本語が難しそうだろうから、日本語を話させちゃ申し訳ない、という気遣い?」これまた、適当。最終的には「わけわかんない!」と言い出すものだから、でもさ、自分も日本人なんだよ。どこで育とうがルーツは日本人。まあ文化が違う、と理解し、尊重することは大切だよ、といっておいた。
良い話としては、以前ヴァンクーヴァーにいた頃、移動はいつもバスだったが、降りるとき、皆運転手さんに「thank you!」と言って挨拶していた。当たり前のことなのに普段忘れられていること。見ていて気持ちいいなあ、と思ったものだ。最近では日本でも運転手さんに「ありがとうございました。」と言って降りて行く子供を見かける。子供達にも見習いなさいよ、と言ってもなかなか声が出ない。
人間観察は楽しい。なぜならば人間自体面白いからだ。何が面白いのか?と批判めいた声も聞くが、別に人を見下すわけじゃない。
人の振り見て我が振り直せ
何も悪いところを改めるばかりではない。他人の良いところを自分も見習う。他人を見ていて素敵だなぁと思うところがあれば、それを自分も真似てみる。そうすれば、悪いところはどんどん直せて、いいところはどんどん取り入れていけるわけだろう。批判は常に自分中心だ。けれど人を観て、自分も観る。それが面白い。
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