実家のどこに私の子供のころの通信簿が保管されているかは知っていたが、敢えて見たことはなかった。
それが、数日前、長女に「見ちゃったよ、ママの成績表!」といってニヤニヤしていた。なんと、母が長女と次男に私の小学生から高校生までの通信簿を見せたというのだ。まあ、成績は常にトップではなかったものの、平均よりは上。子供たちに馬鹿にされる筋合いないわ!と強気でいたが、彼ら、特に長女は、当時の担任の所見をみて、面白がっていたのだ。
「まあさ、どの先生もママのこと、おとなしい。落ち着いている。きちんとしている。...って普通なんだよね、書いあること。でも「冷たい」と書かれていた時もあったよ。」といわれ、ドキっ!慌てて、40数年ぶりに小学1年生からの通信簿をめくって見始めた。2年生になってから担任は産休に入っていたはずなので、きっと代理の担任が書いたものだろう。「落ち着いている。きちんとしているが、やや冷たさを感じる。」と確かにあった。小学校卒業の際, 全校の先生にサイン帳に一言書いてもらった。その中に「目が澄んでいる」と書いてくださった先生がいらしたが、「澄んでいる」のと「冷たい」のってさ、取り間違えられることあるんじゃないの?と言っても、長女は「へ~っ」と信じないといった様子。まっいいさ、過去のこと。
出したついでに通信簿を小1から順に読みだした。
常に、おとなしい。落ち着いている。自分のことはきちんとできる。とはあったが、指せばきちんと答えられるのに、自分から手を挙げない。もっと積極性がほしいと何度も書かれていた。
「冷たい」と書いた担任も、2学期、3学期、徐々に笑顔が見えるようになってきた。クラスメートに心を開くようになったと書かれていたので、「冷たい」というのは、保守的な暗いイメージがあったのでは?と推測する。今更自己弁護。苦笑
ほかに、「頑固だ。」と書かれていることが2度ほどあった。何をどういったシーンで...と思いつつも、まあ確かに今でもそういったところがあるな、と納得。
中2になり「弱者に手を差し伸べる。たのもしい。」とあった。きっと登校拒否のクラスメートの家を訪ねて行ったことを書かれたのだろうか?けれど、最終的に、彼女は、転校してしまった。荒れたクラスだったが、クラスメートから直接いじめられていた、のけものにされていた、とは思えなかったのだが、何か拒否反応を起こしていたのは確かだったと記憶している。クラスに戻らず引っ越しとなり、その理由がクラスそのものにあったのかどうかまったくわからないまま。彼女の心を理解出来ず連絡が途切れてしまったのは、人生の中での心の残りの一つだろうか。
思わず通信簿の所見を読んで物思いに耽ってしまった。
私はいつから好奇心が強く、それでいて負けず嫌い。目立ちたいわけではないのに、目立つというよりは浮いているようになったのだろう。爆
ついで弟の通信簿も読んでみた。
落ち着きがない。
集中力がない。
忘れ物が多い。
周りに感化されやすい。...あれっ我が家にもそういう輩がいるぞ!!
次男は「僕たち、おじちゃんに似ちゃったみたいだね」、という。確かに、うちの夫は自慢じゃないが(のろけでもない!)、成績優秀、要領もよく、人受け児童・生徒であったと推察する。我が家の子供たちは誰一人夫には似ていないようだ。爆
それにしても、当時両親は担任に私が「冷たい」と通信簿に書かれ、どうとも思わなかったのだろうか?私だったら、いやだなあと思う。実際、補習校で、自分の子供を否定するようなことを所見に書かれた!といって思い切り怒って、保護者の学級委員会で「どういうことでしょうか?」と口やかましく騒ぎ立てていた保護者がいた。「実際、そう書かれても仕方ないようなお子さんなのよ」というメモを会議中、書いてまわしてくる友人がいて、ぷっと拭いてしまったことがある。
まあ、他人さまはどうであれ、「やればできるのに、なぜ努力しない」といった担任から所見、ご意見頂く度に、私は「おっしゃる通りです。申し訳ありません。」とただただ頭を下げるだけである。苦笑
まっ親は子供を映す鏡である。
親が充実した人生を送っていなければ、子供は未来に希望が持てない。
私は私。
成績よりもまずは生きていく力を身に着けること。知恵と判断力をつけて欲しい。とはいえ、結局は自分の身に降りかからないと気付かない、動かないのでしょうかねえ。
