キリストの救いのわざに協力した第一人者、聖母マリアへの崇拝は初代教会からすでに始まっていたと言われ、特にロザリオはカトリック教会の中で古くから愛されてきた祈りの一つ。
ロザリオの球をくりながら、「主の祈り」1回、「アヴェマリア」(聖母マリアへの祈り)10回、そして栄唱1回を祈り、これが1連。5連で「一環」となる。
ちなみに、2002年聖ヨハネ•パウロ2世は使徒的書簡「おとめマリアのロザリオ」を発表され、「喜び、苦しみ、栄えの神秘(玄義)」に「光の神秘」を加え、この祈りを通してより豊かにイエスの生涯の神秘に触れることができるようになった。
毎年5月になると、各教区、教会でロザリオをあちこち祈って歩く。特に、ミラノの古いアパートには敷地内にマリアを祀った祠も多い。昨年に続き、外国人の多い、我がサンシーロ地区に、ミラノ大司教区のアンジェロ•スコラ大司教がいらした。
普段火曜日は、空手の稽古があり、帰宅すると9時前後になるが、昨日だけは、次男と私だけは早い時間に入り7時過ぎに帰宅。大急ぎで夕食を作り、自分たちだけ食べて8時半に出かけた。
すぐに、「苦しみの玄義」が唱えられる。マリアと共に観想。...それは、人間への神の愛の底知れない深さを知り、新たな命を与えてくださるその力の全てを感じるためなのだ。
その後、大司教の黙想が10分ほど続くのだが、地面に座り込んでいた子供達がいきなり叫び出した。「フォーコ!フォーコ!!」キャンドルの火が冊子に飛んだらしい。いきなり20-30センチの炎が大きくなる瞬間を見たが、大人が割って入り、すぐに火は消された。大丈夫、大丈夫!慌てることもなく、大司教の話が続いた。
https://www.youtube.com/watch?v=3IvBF6oDWZg&feature=youtu.be
いろいろな人種の人たち、いろいろな宗教を持つ人たちと共に一つになるということは、大きな挑戦でもある。融合することなしにまた、ゲットーとして移民達を突き放すことなく、共に歩んでいくこと、それが大きな挑戦である。イタリアは(日本にも言えることだが!)あまりにも世の中が急速に変わってきてしまっている。そして、ありとあらゆる国から移民が集まる人種の坩堝であるミラノが、いかにこういった空腹に勝つのか?相互依存の無理解、兄弟愛を維持する困難さ...不安をあげたらきりがない。
毎日、子供、高齢者、貧しい人、傷付いた人、孤独な人、囚人...困難な人生を送る人々のことを聖母マリアにゆだねるようロザリオを祈りましょう、といって幕を閉じた。
電車の中で、あるきながら、家庭の祈りで、寝る前に...一人一人の願いを聖母マリアに取り次いでいただきましょう。兄弟愛と連帯と平和のもとに、新しく希望あふれる展望がわたしたちの世界に開かれますように。




