復活祭直前の聖週間、特に聖なる3日間に関しては、イエスの受難を記念している。(下記Urlをご参照)
知り合いのガイドさんが非常に詳しく書いていらしたので、こちらをご紹介。http://gia44.blog.fc2.com/blog-entry-206.html
昨夜、聖木曜日に「最後の晩餐」が行われ、夜に裏切ったユダに導かれた兵士たちがイエスを逮捕する。
聖金曜日
早朝 死刑判決
9時 十字架を背負いゴルゴタの丘へ、その後、十字架にかけられる。
12時~15時 辺り一面が暗くなり、絶命まで暗闇に包まれる。...
15時に「主の受難」を祭儀を行うところが多い。学校も休みなので、旅行に出ていない親子やお年寄りでお御堂はいっぱいだった。ちょうど15時半くらいの朗読で、イエスが息をひきとる場面になり、皆跪いて黙祷する。
イエスは十字架上で息を引き取る直前に「成し遂げられた」(è compiuto!)(ヨハネ19:30)という言葉を残された。先日の一般謁見では、イエスのこの言葉についてパパ様は、救いの業が成し遂げられた、聖書に書かれたすべてがキリストの愛において完全に実現したということを意味していると説明。イエスはご自身の犠牲をもって、最も大きな不正を最も大きな愛に変えられたのだ。
([主の受難]の祭儀に戻り...)その後、祭壇の飾りを全て取り除く。その後の「十字架の崇敬」。日本ではどうされているのか、わからないが、信者は行列になって一人ずつ横におろされた十字架上のイエスを崇める。イエス像の直前で3度ひざまずき、それぞれイエス像にキスするのだが、どうしても私は、多くの人が直接口にしたところに口をつけるのには抵抗というよりも、嫌悪感があり、自分の指先に口をつけ、足の釘の部分や、胸の傷に触れただけ。
そして、共同祈願。全教会、ユダヤ教の人々の為、キリストを信じない人、また神を信じない人、国を治める人々や困難に直面する人々、亡くなられた方々など全人類に向けられ祈られた。
イエスの死は壮絶だが、その生き方が「成し遂げられた」という言葉にあるよう、私たちもまた人生の終わりに、そのすべての過ちや罪にも関わらず、隣人への愛の業を通して、「主よ、私にとってできるだけのことはしました」「成し遂げられた」と言えるならば、どんなに素晴らしいことであろう。
明日の聖土曜日には、教会はキリストの十字架上での勝利の闘いの後の、墓の中における「休息」を観想し、どんな時でも希望をもって信仰の火を灯し続けた聖母と共に、イエスの復活を待つ。
「私たちの人生は墓石の前で終わるのではなく、まさに墓から出てこられたキリストにおける希望によって、さらなる先に進むのです」。上記同様先日の一般謁見でパパ様は、そう言われ、「この聖なる過ぎ越しの3日間に「主の受難」を記念するだけでなく、その神秘の中に入っていきましょう」と、信者たちを招かれた。
画像はローマ•コロッセオで行われた「十字架の道行き」(ヴィア•クルーチス)
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11215974073.html
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11826684095.html
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11501369770.html
(ヴィア•クルーチス2015 冊子内容)
http://www.vatican.va/news_services/liturgy/2015/documents/ns_lit_doc_20150403_via-crucis-meditazioni_it.html


