涙、涙の卒業式 ~ 未来へ その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

もうだめだ。一度涙が流れると止まらない。
何気に振り返った前にいた友人のお子さんが、私の涙を見て「どうしたんですか?大丈夫ですか?」と声をかけてきた。「僕もね、補習校頑張って続けて卒業するときは、きっとお母さんも嬉しくて泣いちゃうと思うよ。」というと、数秒じっと私を見て、へえっとニヤっとした。

「学校長式辞」
能の大成者世阿弥の言葉「初心忘れるべからず」の話だった。
「最初の志に限らず」、人生に置いていくつもの「初心」を忘れないこと。人生の試練をどう乗り越えるか、その経験を忘れないこと。それと同時に、皆のことや将来のことを一番に考えて、補習校に通わせている両親も皆と共に悩み、寄り添いながら「初心忘れるべからず」を生きていることを忘れないで、というメッセージであった。そうか、私たちも「初心忘れるべからず」。子供をただただ見守る。忍耐。その先には必ず「希望」があるということ。

卒業式のクライマックはなんといっても「卒業生答辞」
長男、中3クラスは、学んだ熟語や動詞の活用をクイズ形式にした寸劇。先週まで生徒たちにやる気が無く、タラタラしており、担任の先生が激怒したことで、焦った生徒が力を合わせ、卒業式当日に迎えられたという。そして、長女、高3クラス。一人ずつが、自分の答辞を述べた。

彼女は昨年に自死した友人の死を通じ考えた「生きること」について述べた。
「生きる」ということは、毎日自分の悪いところと闘う事。
「生きる」ということは、苦手な自分に立ち向かう事。
どれだけ辛くても自分を受け入れる事。
私が虚しく生きてる今日は、生きたかった誰かの明日かもしれない。
辛くて生き続けられない誰かのためにも、私は今を精一杯生きたい...


補習校生活12年。最後の4、5年は反抗期も重なり惰性だったような気がする。毎週口げんかが絶えなかった。なんで土曜日まで勉強しなきゃいけないのか?漢字なんて書けなくても問題ない!日本語なんて必要ない!こんなに親子関係が悪くなるならば補習校なんて辞めてしまった方がいい。でも、やめてしめば、兄弟たちに示しがつかない。まだ頑張れる...そうやって、だましだましやってきた。最後の最後まで喧嘩はしていたが、ある時、「じゃあ退学届け出しておくから、辞めていいよ」というと、今度は「私のこの10数年を無駄にさせる気なの?!」と言う。だって辞めたいんでしょ?でも、いつだったか、卒業生の答辞で、「私をやめさせないで無理矢理でも学校へ連れてきてお母さん、ありがとう」というメッセージに多くの母親たちが涙したことを思い出した。

なんだかんだ言って、子供たちは、親に反抗しつつも甘えているのかもしれない。なんとか引っ張ってくれる、見守ってくれている両親、特に母親の叱咤激励を心のどこかで支えにしているのだろうか?私は何かを続けることで、両親、特に母に何かを相談しても「いいんじゃない?」としか言われたことないし、喧嘩などしたこともない。そういう意味じゃ、娘とは喧嘩が絶えない。それは私が愛情という名の支配をしすぎなのか?!自己嫌悪に陥ることも多い。

最後に、恒例の思い出のビデオが流れた。曲は、kiroroの「未来へ」。
http://www.dailymotion.com/video/xfx6vt_yyyykiroroy_music

長女は、普段家で笑顔を見せることはあまりないが、どの画像も笑顔ばかり。涙が止まらなかった。

式が終了し、食事会が始まったが、卒業生は記念撮影に追われた。「なんでそんなに泣いてるの?」「一人だけだよ、恥ずかしい」長女に怒られた。

その後、場所を移動し、高等部の謝恩会が行われた。
この時期、毎年補習校での食事会が行われるが、子供が3人いれば3回の食事会。土曜日3週続けて行われた。その内2回が幹事。あちゃ~。けれど、2回とも同じところを使った分、わがままを言われてもらい、あまった料理(かなり量が多かったので)は全てお土産用に包ませてもらい、ケーキまで持ち込ませてもらった。

画像以外に、ホワイトチョコクリームの紅茶のロールケーキ2本。素晴らしいお祝いであった。

4月以降は、長女が去ったクラスに今度は長男が入学。高等部はやめていく人もあれば、海外留学に出る人もいたりと、出入りがある。それでも、卒業はゴールではなく新たな出発地点。強制的な漢字テスト、作文とは縁が切れても、今後の日本語の成長は本人次第。初心忘れるべからず。常に高い理想を持っていてほしい。

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12004953979.html