来る17日、長崎にて信徒発見150年の記念式典が行われる。
信仰を禁止されていた厳しい時代のなかで、身の危険を顧みず心の中に持ち続けていた信仰を表明したことは、「宗教史上の奇跡」と言われている。
キリスト教への迫害が少し緩やかになった1865年のこの日、十数名の男女が、建てられて間もない大浦天主堂を訪れ、プチジャン神父に「わたしたちは皆、あなたと同じ心です」と、キリスト教の信仰をもっていることを告げたのだそうだ。
彼らは、200年以上にも及ぶキリスト教への厳しい弾圧を、不屈の信仰をもって耐え忍んできた人々の子孫である。この日の名称は今年2015年から「日本の信徒発見の聖母」に変わり、日本固有の祝日として祝うことになった。
今現在も信仰を持つことで弾圧を受け、迫害されている人々はあとを絶たない。
ところで遠藤周作著書に「沈黙」というのがあるが、「隠れキリシタン」という呼び方以外に「転びキリシタン」というものもあった。江戸時代の拷問や迫害によって棄教してしまうのだ。キリシタンの棄教を「転ぶ」という。
この本を読んだ時はまだ私も若く、そして洗礼を受けていなかったが、また読まなくてはいけないと思いつつ強い抵抗がある。江戸時代の長崎奉行にしろ、現代のIsisにしろ棄教させようなんて無駄だ。転んでも棄教はしない。
私はまだ長崎の浦上天主堂には行ったことが無いけれど、生きているうちに行かなくてはならない場所の一つだ。
150年後の私達も、彼らの力をいただき、彼らを模範としながら、信仰を強くし、信仰生活を豊かにしていけますように。
http://www.cathoshin.com/2015/03/12/kh150315/
