雛祭り | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

子どもの頃、雛祭りだからといって毎年雛人形を飾ったり、お祝いをした記憶はない。強いて言えば、その時期だけ、雛あられと白酒ならぬ、甘酒は飲んでいただろうか?

「人形は顔が命」というCMを見ては、人形はね。でも人間、特に女性は顔だけが命で、頭パーだったらそれも悲しい、と思ったものだ。苦笑

長女が生まれ、なんだかんだ頂き物の雛人形が集まった。まだ子供達が小さい頃は、在ミラノの日伊家庭が集まっては、本の読み聞かせをしたり、折り紙や日本の文化や行事などを子供達に教えてきた。また、子供達の通っていたモンテッソーリの幼稚園でも、「雛祭り」や「子どもの日」を何度か紹介し、一緒に折り紙教室を開いたものだ。高校生になっても、意味がわからなくても、当時覚えた日本語の童謡を歌えるというイタリア人の学生もいる。

しかし、我が子は...?というと、かなり怪しい。雛人形を出しても、意外に気づいていないんじゃないだろうか?いつもぎりぎり3月に入ってから人形を出し、4日には片付ける。強いて言えば、手抜きちらしを作るだけ。

 

ところで、次の日曜日、3月8日は「国際女性の日」。1904年3月8日にアメリカで女性労働者が婦人参政権を求めてデモを起こしたことがきっかけで、1910年にコペンハーゲンで行われた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のために戦う」日と提唱したことから、同年「国際女性デー」と制定されたという。

話は変わるが、先日、ピルの副作用の危険性の記事を読んだので、FBでリンクしたら、日本人女性、イタリア人女性とのピルの使用の仕方や認識が全く違う、ということがはっきりわかった。何事にも推進派と反対派というものはいて当然だが、ピルは女性の「選択の自由」の革命的存在といい、避妊や堕胎を法律で認めよ!というイタリア人女性の友人がおり、その場で自分以外の意見の人を、罵倒しちょっとむっとした。まあ、その人は、どんな場面でも人にぶつかっているので、内容の問題ではなく、その人に問題があると思い流したが、いつも突き詰めていくと、フェミニズムの問題にぶつかる。しかも、リベラル派かラディカル派かに分かれ、必ず対立するのだ。

話が逸れたついでに、イタリアでは小学5年生で性教育の授業を受ける。10歳、日本でいえば小学4年生。長女の時は、学校で、くまさんが主人公のアニメだったという。次男の学校はカトリックの学校であるということもあるが、まずは保護者が担任と医療センターとの医師から説明を聞き、その後、クラスで児童たちは3回、合計6時間にわたり講習を受けるそうだ。どういう内容なのか興味津々!

性教育をすれば、いつか必ずジェンダーフリー教育にぶつかる時期、機会も来るかもしれない。私個人としては、ジェンダーフリー思想とは、人間として男女は平等で、その差をなくす社会づくりは大切だと思う。けれど、極端に公平、不公平、挙句の果てに正義だ、不義だと叫ぶのはどうなのだろうかと思う。生物的に明らかな違いでできた今までの伝統や風習を否定することは全くないと思う。

何が言いたいかといえば、「雛祭り」は祝日でなく、「子どもの日」が祝日だっていいじゃない?このまま続けて欲しいと願っている。

画像は、薄焼き卵を忘れ、ノリでびっちり埋めたチラシと簡単シュウマイ。