あれから4年 ~ 父の誕生日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

父が心筋梗塞で倒れ、全快し4年が経った。

父が倒れ状態が危ない、といって連絡が入った時は、心臓がばくばくし、帰国の準備をするため夫に連絡しようとしても、携帯電話さえまともにかけられないくらい動揺していたことを今でも覚えている。

父の親類は皆東北にいるので、私の弟と母の兄弟が病院に駆けつけた。その時は、もうだめだと皆思ったという。私が帰国した時は、意識も戻っていたが、病院で74歳の誕生日を迎えた。次男だけ連れて帰国し、毎日父の病院へ通った。回復も早く、退院が決まったところで私はミラノに戻ったが、母の気丈さに隠れた心細さを想像すると、居た堪れなかった。

毎年、父の誕生日を迎えるたびに、今年も1年無事に過ごせました、と思う。常にどこが痛いだ、調子悪いだなんだと言って、病院通いからは縁が切れないものの、両親共々無事に生活している。ありがたいものだ。

今朝の母からのメッセージによると、この冬、父は風邪もひかずに元気で先週の定期検診でも問題なく、次回は8月だという。

とはいえ、今年に入り、友人、知人の親が続々と亡くなっている。その度に、自分の親のことも考え、そして自分の将来のことも考える。私には、カトリックという柱があるが、人間は、たとえ宗教というか、信仰を持っていなくても、ある時、人はどう生き、どう死ぬか、哲学や宗教について考える時期がいつか必ずくると思う。

ソクラテスは「人は善く生きる」ことが人間の生きる目標だと言っている。また、仏教のお釈迦様は、「一切皆苦」、私たちの世界は自分の思い通りにならないことばかりだとおっしゃる。

「四苦八苦」の「四」とは、「死」んでいく苦しみ、「病」気の苦しみ、「老い」る苦しみ、そして「生きる」苦しみだという。考え方によっては、人生のテーマは、「どうよく生きるか」「どうよく老いるか」「どうよく病むか」そして「どうよく死ぬか」とも言える。人間にとって「死」は避けられるものではないから、逆に「よりよく生きる」。最終的にこれしかないと思うのだ。

あれから4年父は何をどう考えて生きてきたのだろう。もともと口が重い人故、気持ちは聞いたことがない。父から来るメールも業務連絡というか、日々の生活説明のみ。会話をしていても、一きいたものが返ってくるのに、時間がかかる。お酒を飲んでやっと人並みのリズムの会話になるのだ。笑 だからと言って、お酒もセーブさせなくてはならないし、そうたくさんお酒は飲ませられない。苦笑

ところで、先日の「灰の日曜日」では、聖書の言葉にある「あなたは塵であり、塵に帰っていくのです。回心して、福音を信じなさい」」といって灰を受けたが、どんな人でも必ず土に還る。私たちは土の器だ。ただ、生きているうちに、その器にどんな水をいれていくのかが問われるのだと思う。土の器は年をとったり病気をしたりすると、ひび割れ、かけてしまう。けれど、器からもれた水は地下に吸い込まれ、そこから新しい芽が伸びてくるのだ。人の生きた姿は子供や残された人たちの心の中に受け継がれていく。どう生きるかは、どう死ぬか。トータルして、人生の意味を見出せるような気がする。

一度はさよならか?と思ったが、父の存在は生きていてくれるだけで勇気がもらえる、希望が与えられる。

お父さん、ありがとう。そして、誕生日おめでとう。


http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11175668790.html