四旬節 ~ 灰の日曜日•ダビデの祈り | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

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今日2月22日、アンブロジアーノ典礼では、ローマ典礼の「灰の水曜日」よりも4日遅れて「灰の日曜日」を迎えると共に四旬節に入った。



「四旬節」とは、公生活に入る前のキリストが荒野で40日間の断食を行ったことを思い起こし、復活祭までの主日(日曜日)を除く40日間、悔悛し、祈り、断食や節制、施しや愛徳の実践を通して、キリストの復活の記念によりよい形で与る準備をする期間である。

「灰の日曜日」には、死と痛悔の象徴である灰を、頭や額に受ける「灰の式」が行われるが、ここでは、前年の「枝の主日」(復活祭直前の日曜日)に祝福されたオリーブの枝を燃やした灰が使用される。

今日のアンブロジアーノ典礼での朗読はマタイ4:1-11。「荒れ野での誘惑」の部分であった。

誘惑に立ち向かうには、それに立ち向かう「勇気」が必要。人間はいろいろな欲望を持っている。名誉欲、権力欲、金銭欲、所有欲、性欲など。人間が死ぬまで無くさないものは、食欲だけか?と思ったが、それに加え(私には関係ないが!笑)、名誉欲や性欲も加わるようだ。

自分にとって何が一番大切なのか?をそれを確認し、直さないといけないが、何が「誘惑」であるかそれがわかれば、それに打ち勝つ可能性は大きいが、「誘惑」が誘惑であるにもかかわらず、誘惑であることがわからない「誘惑」、つまり「気付かない誘惑」が一番恐ろしい。

ミサ閉祭後、回心のしるしとして灰を頭(または額)に受ける行列ができた。聖歌はPurificami o Signore 詩篇51篇 ().「罪とゆるし」の歌である。

私を洗ってください。雪よりも白くなるように。

詩篇はダビデ王に書かれたもので150篇にまで及ぶ。彼は自分の悪事を認めて後悔する内容の詩が7つあるとされているが、特に51篇は、信仰を揺さぶる内容ではあるが、罪を悔い改めた人の心を慰めるために書かれたものだと言われている。

ダビデは、自分の心の中にある救いようのない罪深さを直視し苦しむが、そこからも神の力と哀れみを見出し、その結果、どのような罪でも、へりくだって神に近づくのなら、神に赦された者は、清く生まれ変わる希望をあたえてくれる。

この四旬節、ダビデに学ぶ事大し。