イスラム国•ISISにおける一連の邦人人質事件。悲しい結果となってしまった。
なんともいえないやるせなさだけが残った。
>目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。
お亡くなりになられた後藤さんの2010年9月のツイート引用。
自己責任だとか安倍首相の判断云々は置いといて、まずは後藤さんが伝えたかったこととはなんだったのだろうか考えてみようよ。
彼が、クリスチャンで、取材の際は常に聖書を持ち歩いていると知り、ぐっと来た。
>毎日生きていることに感謝し、神様に守られ、今も生きていることに感謝している...
>シリアや他の紛争地での取材中、大きな選択に迫られる時がある。どちらの道に行ったら安全に目的が遂行できるか。まさに命をかけた「選択」だ。その時にいつも彼の頭をよぎるのは、「主なる神を試してはならない」(マタイ4:7)という聖句だった。選択を迫られたとき、「自分は神様を試しているのではないか?」と常に頭で考えながら、祈り、そして決断するという。父なる神は、決して自分を見捨てない。その言葉を信じての決断だ。
柔和な笑顔の奥に秘められた強い信仰。神に全てを委ねた安心感と、それに背中を押されて飛び立っていく彼の姿は、キリスト者であるがゆえの愛ある強さ。
ところで、今朝、メルカートでいつも行くバングラデッシュ人の屋台で、「昨日ニュース見た?残念だよ。」と店主に言われた。うん、無言でただ首を縦にふると「僕たちもイスラム教だけど、彼らとは決して違うよ。まっすぐな信仰で人を傷つけることはもちろん、お酒だって飲まないんだから。」という。「もちろん!ISISは信仰とはかけ離れたもの。あなたたちと同一だなんて思うことないでしょ!」逆にムキになってしまった。彼らも気の毒だ。パリでの惨劇をはじめ、イスラム教徒というだけで、アンチ運動の的にされてしまっては、それこそ的外れ。彼らだって、ぐっと堪えていることだろう。
困難の中で苦しむ人々に心を寄せ、その人々に苦しみを世界に知らせようと、尊い命と使命を果たされた後藤さん。永遠の安息とご遺族の悲しみ、また紛争地域で苦しむ人々のためにただただ祈りたい。
余談だが、後藤さんの過去のTwitterを読んだ。彼のまっすぐなお人柄、また大のフランスワイン愛好家だったことがわかった。彼のワイン備忘録は下手なソムリエよりも表現がうまい。さすがジャーナリスト!と思った。
皆自己責任だというけれど、少なくとも後藤さんは「困難の中にある人たちの暮らしと心に寄り添う」ことこそ、まさにキリストの愛、つまりクリスチャンとして命をもって証しされたのだと思う。
実際シリアや紛争地域に飛び込んでいくことはなくとも、残された私たちが、後藤さんの遺志をしっかり継いで、みじかな苦しんでいる人たちに寄り添うことができますように。
http://www.christiantoday.co.jp/articles/13401/20140530/goto-kenji.htm
こちらで、緊迫したシリアの情勢や現地での取材の状況について後藤さんが語られています。後藤さんの指摘された通りのことが起きてしまっており、あ...とため息一つ。https://www.youtube.com/watch?v=voxwOoyt-NI&feature=youtu.be