年末に平和について考え(http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11965924002.html)、また元旦早々、「世界平和の日」と称し、世界平和について祈ったばかりなのに、パリの新聞社襲撃事件により、表現の自由が脅かされたこの攻撃に対して、世界中が「Je suis charlie」の語を合言葉に反撃し始めた。
言論の府とも呼ばれることがある新聞社や報道関係者への攻撃は、自由の国では特徴的な意味を持つのだろう。つまり言論の自由を支持する人々は「私もシャルリーだ」と宣言する事で、言論の自由が不滅である事、死亡した17人への追悼、そして反テロリズムの武器を持った。もちろんここでいう武器とは、言論の自由を象徴する「ペン」「鉛筆」だ。
でもちょっと待ってよ!と思う。
アンチ•テロリズムと言いつつ、アンチ•イスラム、ひどいと移民排除思想にまで至ってしまうから、一緒くたにならないよう、気をつけなくてはならない。政党の一つであるレガノルドなど、どさくさにまぎれ、だからモスクなど建てちゃいけないんだ!という始末。もちろん、イスラム教過激派の言動は危険だ。それは阻止すべきものであり、他のイスラム教徒イコールテロリストではないし、ミラノにはイスラム圏出身でも特にエジプトにはコプティと呼ばれるキリスト教徒も多い。彼らが、一緒くたに人種差別を受けることがあってはいけない。
言論の自由と言っても、個人的には、この雑誌「Charlie Hobdo」表紙を見ただけでヘドが出る。政治家を風刺するのならともかく、宗教を笑い飛ばすとはどういうことか?と思う。「Je suis Charlie」とはあくまでも象徴の言葉ではあるが、表現の自由とはいえ、個人的には微妙な違和感がある。
ところで、事件の起きた直後のitamaの授業では、ある中級クラスでこの襲撃事件について話し合いが持たれたという。生徒のほとんどは意見を言うにも、十分なボキャブラリーもないし、理解度もそこそこだというが、それでも「自分たちは彼ら(テロリスト)とは違う。」「反対だ!」という意思だけは強調したという。もちろん、そのはず。まずは、宗教、信仰とこういった宗教を超えた狂信的思想は別物だと認識しなくてはならない。
話は逸れたが、昨日ミラノのドウモ広場で、又今日はフランスで2百万人にも及ぶ人たちが、テロに対するデモが行われた。パリでは、オランド仏大統領ら欧州の首脳に加え、イスラエル、パレスチナのトップも顔を揃えていたから驚いた。これほどまでの、アンチテロリズムへの結束、連帯を示す行動が取られたことがあるだろうか?100万人に達したとされるパリでの行進は約3キロに渡り、TV演説では、オランド大統領は、「団結こそ最良の武器。」と訴えた。
誰もが「平和」を祈り、未来に希望を持っている。おぞましいテロとイスラム教が同一視されないことを望む。暴力により神の名を広めようとする人たちは、彼らの聖なる名前を汚すばかりなのだ。ヨーロッパは、狂信的なイスラム過激派の脅威、また若者を過激な思想に傾倒させる動きに打ち勝たなければならない。そのためにも、宗教や文化の異なる人々が共存し、誰も排除されない環境が守られないといけない。
今日夜になってitamaの生徒の一人からメッセージが転送されてきた。「イスラム教徒は決して戦争をしません。酷いこともしません。平和を常に作ります。」と書かれてあった。私たちができることは小さなこと。世界を変えたり、救うことなどできないけれど、少なくとも人種のるつぼであるミラノ、特にサンシーロ地区もまた「平和」を祈りつつ、彼らと歩んでいけるように。
