時期に限らずこのイタリア,スリや物乞い,チャリティ事業は日常茶飯事。
けれど,やはり年末になりスリに関しては,TVでもその手口を流し注意を呼びかけていたが,本当に気を抜けない。
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物乞いも多い。この寒いのに,地べたに座っていられると,かわいそうだな...と思ってしまうが,一度あげてしまうときりがない,という事実もある。スーパーの前,教会の前,駅の入り口,地下鉄の中。そのほとんどがロムだ。最近,地下鉄の中では,イタリア人のお年寄りもいる。「この孤独で貧しい私に恵んでください」地下鉄の赤線で毎回見かける老婆が居る。悲壮感漂う80歳代?の女性だが,その割にぴんぴんしており、漫画・意地悪婆さんのイメージだ。笑 日本人だったら,年代に限らずまずは恥や外聞もあって,こんだ地下鉄の中,紙コップをもって恵んでください...ということは,あり得ないだろう。国民性の違いだろうか?
ある時,教会前で物乞いをしていていた若いロムの青年がBMWに乗っているのを発見した時は,なんてやつ!!と思った。また,いつも日曜日に見かける物乞いも,時に,アイロンをかけた線の入ったスラックスをはき,伸びた髪の毛がストレートパーマをかけたように奇麗にまっすぐに伸びているのを見ると,どこでどういう生活をしているのだ???と思ってしまう。
かと思えば,生活云々は別として,どこから声を出ているのか?と思うくらい高くて,明るく元気な声で通り行く人々に声を変えているロムの少女も居る。可愛い顔をしているし,ciao, bella! buona giornata! ciao, Stellina!...一人一人によい一日を!と声をかけ,嫌な気がする人は居ない。帰りがけにも彼女が居ると,敢えてチャオ!と逆に声をかけている人々の多さにも驚いた。物乞いも様々だ。
また,この不景気な中,チャリティだ,ソリダリエタ(助け合い)だ,というと意外にイタリア人は金額に差はありつつもお金を出す。これまた,国民性の違いだろうか?先日,ある地域の女性の集まりで,毎年この時期集まっているのだが,昨年の集まりの直後,1人の女性のお嬢さん(現在16歳)が悪性リンパ腫と発覚し,テラピーが始まる前に彼女は,スパッと頭を坊主にし,自らFBのプロフィール画像を載せ,ショックを受けた事があった。彼女の母親,つまり私の友人は常に元気で明るい女性だったが,それからの彼女の苦悩というものは,たまにあって言葉にしなくても感じる物があった。徐々にお嬢さんは回復し,学校にも復帰し,長年同棲生活だった私の友人はこの夏, 籍を入れた。戸籍上とはいえ,家族の絆,家族愛の証だったのかもしれない。彼女を教会で見かける事はないが,祈りを捧げ,神に感謝をしたいと言っていた。その彼女と去年と同じメンバー30人とで再会。元々手先の器用だった友人は,別の友人と共に多種多様なハートのマスコットを作成し,そこに詩を書き込み,若くして癌と闘いながら学校へ戻ろうとする若者を支援する協会のため、自由な金額の寄付を募ったところ,あれよあれよと同席していた友人達はいくつも購入し協力していた。
数日前には,ユニセフの寄付勧誘も回っていた。誰がアパートの戸をあけたのか,例の電話契約解除の件で,予定の合間に郵便局に走らないと...と思い,慌てて家を出ようとしたら,家の前にユニセフの人がいたから,あーあれか...と思った。「1分お時間をください」と言われたが,今急いでいるので,といって断った。本当にこの時期、1分1秒でも無駄に出来なかったからだ。そして,ユニセフに関しては,年間の寄付をその場で要求され,または振り込み用紙を渡され支払う事を約束する証明書に署名させられる。そんなやり方あり?心を動かされない限り,協力しようとは思わないだろう。しかも,いきなり戸を叩き,自分たちがいい事をしているから,寄付してくださいというのは調子が良すぎる。世界には何百何千という慈善事業団体があり,それが日本であろうが,アジアであろうが,どこであろうが,本人が心を動かされない限り,協力する云々決める事ではないし,他人様から強要される事ではない。しかも私たちは,世界そのものを救う事は出来ないのだから。
年末になると考えさせられる。何が善で何が悪なのだろうかと。とはいえ,スリにはお気をつけください。