イタリアの学校行事 〜 11月 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

新学年度が始まり早2ヶ月半。(もう新学年度ではないか...)

前期の前半が終わり,次男はすでに成績表が渡された。
今年度から学校がかわり成績表の表記もかわり,SiかNoだけの評価。問題ない状況であれば,前期終了時だけ成績表をくれればいいのに...

長女,長男に関しては,各教科の教師によるクラスの状況などを説明される学級懇談が催された。長男のクラスでは,その前に保護者だけの保護者懇談が開かれ,先生の授業のやり方に関する悪口ばかり。長男のクラスは異常なくらい教育熱心というか,子供にストーカー状態の親ばかり。学校の状況などきっちり把握しているから恐ろしい。だれがスパイなんだ?!と思うくらいよく知っている。子供が親に言いつけるのか,親が探りをいれるのか...今日は○○のテストがあったわよね?××は明日でしょ?あの宿題は難しかったわよね...などなど,なんでそんなに知ってるの?子供は親がべったりくっついていやがらないのだろうか?不思議でたまらない。けれど,うるさい親に限って,その家庭の子供に問題があることが結構わかってきた。授業妨害,トイレといって授業中戻ってこない。などなど,現状わかってますか~???といいたい気分。そして,これは我が家の長男が勝手にやっていることなのだが,長男は夫の会社で余ったサッカーのチケットでクラスメートをつれてかなりサッカー観戦しているのだ。別に感謝してほしいとは思わないが,それに触れる親は一人もいない。ちゃんと把握しているんだろうか?これまた,不思議でたまらない。

親が子供のことを心配するのは当然のことだが,過干渉はどうなんだろうか。過度に管理。ありゃ依存だね。

懇談会とは別に,生徒の必要に応じて,教師からの召集もある。私も長女,長男の担任に呼び出された。あちゃ...
今度こそ,夫にも半分責任を負え!といってメールを送ったが,「多忙のため,むーりー」と返事が来る。ちっ。

長男に他に誰が呼ばれていた?と聞くと,皆クラスの問題児,つまり超強硬過干渉家庭の生徒ばかり。ってことは,長男も問題児なのか...「ボクは授業は邪魔してないよ。強いていえばラテン語が問題かも...」という。今年から,学校関係の出欠席及び成績などのオンラインシステムは,全高校が同じシステムを使うよう統一された。なぜか長女も長男の学校関係の記録がPCで見ることができない。いずれにしても,心配して行ったのだが,実際長男に関して言われたのは,イタリア語ができない,というよりは,やはり日本語との思考の違いについて指摘された。けれど,これに関しては,当然ではないだろうか?2カ国語,3カ国語操っても,思考の段階で,言語にたどり着かない,考えたことがまだ言葉にならないことは多いはずだ。本人の性格,そして本を読んだり,言葉にすることが少ないことも問題かも知れない。それは私もなんとも言えない。教師は,外国人生徒が増えてきている中で,イタリア語以外の母語をもつ生徒の研究もしているようなので,100%イタリア人でない生徒に対し,どう対応すべきか疑問に思うことを保護者にぶつけてくれるのも,ある意味ありがたい。お互い補助できることは補助し合っていくことが大切だし,その配慮が嬉しい。回りの生徒よりも1冊でも多く本を読んで頂きたい。とのこと。

以前バイリンガルに関する学者による本を読んだ際,母語となる言語がしっかりすれば,第2,第3言語も積み重ねやすいと書かれてあったが,確かに長男に関しては,母語がイタリア語になるか日本語になるか言いかねるが,いずれにしても両方に関して理解,読解度が危なっかしい。そういう意味では,両方の言語がハーフ,つまり中途半端になりがちなのだ。

長女に関しても呼び出された。高校最終学年なのに,何をいわれるのか...と気が気でなかったのだが,長女の親友がなくなり1ヶ月が経った。精神的悲しみ,苦痛は理解できるが,このまま放っておくことはできない,という指摘だった。私自身も多くの人に専門家にみせるべきでは?と言われたが,これはまさにイタリア的発想。本人は大丈夫というので,尊重しているが,やはり見守ることは,親としても忍耐がいるもの。

結局呼び出しに関しては,想像とは違うものだった。とりあえず忍耐を持って見守るしかない。

また,来年度9月に次男は現地校の中学にあがるので,今がちょうどオープンスクールといって学校を見学するシーズンで,毎週土曜日学校見学に回っているところ 。長女,長男が通った中学とは違うところに通わせようと考えているが,距離的なもの,学校の雰囲気,選択授業の内容などみてはどう思う?本人,友人の保護者などと意見交換。何かと慌ただしい。2月あたりに一斉にオンラインで入学手続きが始まる。

人の振り見てなんとやら...イタリア人の保護者のあり方をみて,あーなっちゃいけない(過干渉)と思う。「親」という字は「木の上に立って見る」と書く。子供の歩む道の石をいちいちとってあげる必要もなく,また転んでもすぐには手は出さない。どんなに進む道に危険があっても,子供が自力で歩むのを邪魔してはいけないのではないだろうか?親としては,苦しく,ハラハラドキドキの連続だが,親は木の上に立ち子供を見守らなければならない。毎日が自問自答だが,結局は子供自身が答えを出さなくてはならないと信じるしかない。

11月,何かと現地校の学校行事が多いな...と思っていたら,長女のクラスの学級懇談はすっかり忘れてしまっていた。はあ...しょうがない。もうついていけません...