マルチカルチャー 〜 クリスマス | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

人種の坩堝のミラノ。
当然ながら,マルチカルチャーであるが,クリスマス時期になり,幼稚園や小学校あたりで必ず問題になるのが,宗教色をあまり出さないように...ということ。

イタリアは,クリスマスツリーよりも聖家族を中心とした人形のプレセピオを飾る家庭が多いが,学校では,このプレセピオがだめ,生誕劇がダメ,いろいろと耳にする。その理由は,他の宗教をリスペクトするため。けれど,他の宗教,特にイスラム教徒や仏教とからの反感など聞いたことがない。むしろ,「郷に入れば郷に従え」で,もともとその国の伝統であった物事に対しリスペクトしているように思える。文句を言っているのは,イタリア人の別の宗教または無宗教,もしくはアンチカトリックなのでは?とさえ,思えてしまう。

大切なのは,明確な説明をもってクリスマスを紹介すること。そうでないと,子供達は混乱してしまう。

以前も書いたことがあるが,「イタリアの学校で宗教の授業はやめよう」という嘆願書がなんとFB上で回っていたことがある。

理由としては,
*イタリアは世俗国家であって,特定の宗教を公立の学校で強要すべきではない。
*宗教の教師は,他の教科の教師と違って,国の教育養成を受けている訳ではない。
*カトリックは,他の教科に対し,教育的な衝突を生じさせる。
*義務教育における習得教科として,カトリックは,唯一有益ではない教科であり,一般文化として有益ではない,云々...。


確かに,宗教の授業をとっているイスラム教徒の子女は少ないようだが,決して上記の理由ではないと思う。逆に,宗教の授業を受けない生徒児童が多すぎて,自習になってしまうと,その時間が無駄, 放っておきっぱなし,という問題をよく聞くが,それは担任,担当者または,学校側の問題であり,有益であるかどうかなんて誰がいえるだろう。

以前,宗教の授業を受けると洗脳させられちゃうんでしょ?と聞かれたことがあるが,申し訳ないが,そりゃ無知。「宗教」と「信仰」は別問題。そういえば,明日の23日までが「聖書週間」であるが,聖書は味わうもの。神様からのメッセージと感じられれば,それは「信仰」であり,単なる歴史書と感じるのなら,それは宗教の授業の枠内。悟りは,誰かが強制するものではなく,ましてや勉強すれば身に付くものでもない。だから反対しなくても,いいような気がするのだが,私がゆるゆる思考なのか,それともカトリックだからそう思うのか?いずれにしても,せっかく良い知らせを知るきっかけがあるのに,それを拒否するなんてもったいないなあと思う。

また逆に,「無知の知」は向上心につながる。自分が絶対だと誤解していたら,つまずいたときに,ぽきっと折れてしまうか,争いごとや信仰宗教にはまりやすいかもしれない。

クリスマスは真の平和を願うもの。商業主義に毒されるものでもない。

いと高きところには栄光,神にあれ,地には平和,御心に適う人にあれ

マルチカルチャーだからこそ,人々の心の架け橋となるよう,平和を祈りたいもの。Love & Peaceかな?


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