アンブロジアーノ典礼での待降節に入った途端,司祭の祝福がやって来た。
地元パロッキアの4人の司祭のうち誰がくるんだろう?皆でドキドキ。
夕方5時から7時半の間のいつに来るかわからない。本来長男,次男は空手教室があった。昨年は空手と野球の練習日が重なっており,どちらも中途半端な一年だった。ついに野球をやめることにし,今日から体育館での練習初日だったので,挨拶に行かせる予定だった。逆に祝福がいつ来るかによって,私が次男を空手に連れて行かないと行けない。時計とのにらみ合い。
結局,6時過ぎの来宅。空手には行けず。長男はその後に野球に出かけたので,逆に3人でドンを迎えられた。イタリアでは教区教会の司祭をドン•ロベルト,ドン•ジョヴァンニ!などのように呼ぶが,宣教師や修道士のことをパードレ•マルコ,パードレ•ピエトロといった感じに呼び分ける。来宅したドンは,まだ28歳の若い司祭だが,非常にオヤジ臭いというか(!)しっかりしており,学生にも保護者にも指示されている。
祝福のための来宅では,特に教会とのかかわり合いがなかったり,病気だったりお年寄りなど必要とされている方との語り合いに時間を割いてくださる。逆に私などしょっちゅう会っているので,次男の学校のこととか,ちょうど応接間でPCを開いて,ある原稿を書いているところだったので,その内容についてなど簡単な世間話をした。
今年頂いたのはラファエロの「小椅子の聖母」が描かれたカード。
そこには,パパ様の一般謁見で話されたメッセージの一行が書かれてあった。(「教会の神秘」に関する連続講話の11回目として教会の似姿であり模範であるマリアの一節)
聖母は、わたしたちにも、わたしたちすべてにも、イエスという偉大なたまものをもた らそうと望んでいます。聖母は、イエスとともに、その愛と平和と喜びをわたしたちにもたらします。
ところで,以前の千リラ札のおばあちゃんといえば,モンテッソーリ教育,モンテッソーリ•メソッドで知られるマリア•モンテッソーリは,この「小椅子の聖母」を「(マリアの)母性に対する(ヨハネの)親愛の情」の象徴として,ローマの「子供の家」(Casa dei bambini)に飾り,また世界の「子供の家」に飾るよう望まれたというが,我が家の子供達は3人ともモンテの幼稚園,長女,長男が小学校をでているが,この画像があった記憶はない。
うら若き聖母はふっくらぽちゃぽちゃとしたキリストをしっかりと抱きかかえ,その横で一点を見つめたまだ幼児である洗礼者ヨハネ。
主キリスト,受肉の秘跡において,私たちのうちに留まられることを望みました。
この家族を訪ね,この家を祝福してください。
あなたの平安をすべての人に与えてください。
あなたの平安をすべての人に与えてください。
成長期にある若者や子供達を助け,学業,仕事の苦労を祝福してください。
孤独や苦しみから解放させてください。あなたの祝福とともにすべての人を慰めてください。アーメン
ドンが祈りを読み上げ,その後皆で「主の祈り」を祈った。次男が真ん中になり,自然に私と長男の手をとっての祈り。普段家族で祈ることなどないが,司祭の祝福による一つになる恵みであろう。
我が家を祝福してください。家庭が愛と平和を、与え授かることのできる場所となりますように。
