新学期が始まり | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

新学期が始まり,一週間が終了。
いきなり生活のリズムも変わり,毎日が早い,早い...。

気になっていた長男,長女の教科書のオーダーも今年は自分たちで手配。
毎年,二人分新規には買っていられないので,先輩からの中古品を買うよう直接交渉したようだ。

それでも,明日いくらいくら払わなきゃいけない。あれも,これも...というから湯水のようにお金が流れていく。だいたいさ...なんで半額とはいえ,購入のため払ってあげて,販売のお金は親元に戻ってこないの?長女なんてしっかりしてるから,えっ???何が問題?!なんて顔をする。そもそも中古なんだから半分以下か3分の1くらいが妥当なんじゃない?というと,ママね...学校の常識,と言われてしまった。ちっ。

ところで,小学校の最終学年でいろいろあって公立から私立の修道会系の小学校に次男を転校させた。はじめは,むっとしており,お祈りなんてできないよ!と言っていたが,今では夜寝る前にもしているから,手のひら返すようなこの変化はなんなのだろう?と思う。いつも,誰かが僕のせいにして,それは違うといっても先生は信じてくれない,と口癖のように言っていたが,全くそんなこともなくなり,週末も「あ~学校に行きたい!」来月から始まるプールの授業も楽しみだと言う。すごく前向きになった。

"La vera educazione ci fa amare la vita, e ci apre alla vita". (Papa Francesco)
真の教育は人生を愛させ、実りに満ちた生き方に人を開かせる。


以前,パ-パフランチェスコは,なぜ学校を愛するのか?それは学校には生徒たちを助け成長させるまなざしがあるからだとおっしゃっていた。

話は飛ぶが,ミラノは人種の坩堝。失業率が高いとはいえ,外国人労働者がいなければ存続しない仕事も多い。今でこそ,日本でいう3Kの仕事はここイタリアでも外国人の移民が多い。それでいて,外国人を忌み嫌うイタリア人も多いし,イタリア人の中では,南イタリア出身の人を嫌う人も多い。

地元の話としては,itamaが居候している小学校のある地域(我が家から徒歩圏)は居住者の4人に3人が外国人だと先日ニュースで言っていた。残りのイタリア人もほとんどが70歳以上だろう。地域にある小学校に行くのを敬遠し,皆近隣の公立の学校へ子供を通わせる。そうやって,以前次男が通っていた小学校も年々外国人が増えていた。もちろん我が家も外国人なのだけれど,マルチカルチャーとして喜ぶべきか,それとも生活環境の違いや学業業績のレベルが下がると大騒ぎするのか...私は外国人云々よりも,イタリア人の心の狭さや,文句の多さに落胆した。

心にわだかまりをもちつつ,現在次男の通っている学校を見学に出かけた。
「ボンジョールノ,シニョーラ!」生徒たちが皆が笑顔で迎えてくれた。校舎や備品も決して,新しくはないのだが,きれいに整理整頓され,床もきれいに磨かれている。それが以前の小学校だと修繕されたのは10年も経っていないはずなのだが,懇談会で出かけると,思わず目を白黒させてしまうくらい,教室がゴミであふれ,クラスの本やゲーム類がぐちゃぐちゃにおかれており,あり得ない!と思ったものだ。

修道会系学校の校長は,以前長女がカテキズモでお世話になったシスターであるし,地元教会での勉強会では常に一緒になる方。シスター曰く,パパ様が魔法の言葉として
「いいですか」permesso,「ありがとう」grazie, 「ごめんなさい」scusaと魔法の言葉を進めたことには,安心したとおっしゃっていたが,当たり前の言葉が失われている日々。当たり前のことに感動し,やはりここにしようと決心した。

実のところ,その教会系もかなり外国人が多い。そして,比較的よその私立の学校とは比べ物にならないくらい,授業料が低い。あくまでも利潤追求ではなく,カトリック精神に基づき,誰もが人に心を開いたあり方を追求している。

たとえ外国人は多くとも,子供同士は平等でいるし,保護者間もまだ懇談会が始まっていないので,詳しい様子はわかりかねるが,ざっと見た限り,単に子供を預けていくだけの場所,と考えている人は皆無。そして,誰とでも声を掛け合い,笑いオープンなファミリー的感覚を感じられよかったと思う。どちらかというと,片隅に固まっているイタリア人をよく見かけるが,それはもう仕方ないのかもしれないが,それでもあなたがD君のお母さんね?と声をかけてきてくれたイタリア人ママも数名。所詮,すべては親次第。やはり「子は親の鏡」なのだろう。

学校は出会いの場。
そして学校は学びの場。

また,この春パパ様は一般謁見で,学校は「真.善, 美」を学ぶ場所であり,そのうち1つもかけることがあってはならないと強調された。なぜならば,本物の教育は人生を愛させ,実りにみちた生き方に人を開かせるとおっしゃていた。

さらには,学校生活の歩みの中では、3つの言語「頭の言語」「心の言語」「手の言語」を学び、これによって、自分の「考え・感情・行動」が調和を持つようになることが大切だとお話されていた。こうした貴重な教えに満ちた学校、その「学校への愛を失わないように」。

まずは,学校が第一の一週間であった。