週末,日本を縦断した台風11号が残した傷跡は大きい。京都滞在中お世話になった友人いわく、家にいても物が飛んでくるのではないかと思ってしまうほどすごい風で怖かったという。
いやいや、いい時期に京都に出かけてきたわ。
さて京都3日目。
朝6時に起床。
6時半からの河原町教会のミサに一人であずかって来た。
『暗いと不平をいうよりもすすんであかりをともしましょう』がスローガンの布教番組<心のともしび>は故ハヤット神父が河原町教会に着任された後、私財を投じ始められた。(1952年)
長年、大好きなシスター渡辺のお話『心の糧』を読んできているが,不思議なメダイをはじめ,カトリック要理や「幸せのおとずれ」はいずれも河原町教会から送られてきたものだ。
ホテルから教会までは1.1キロで徒歩10分とネットで見たが、うそうそ。行きはタクシーで出かけたが、帰りもだらだら歩いていたら30分かかったわ。
ところで、「京都にはお寺や神社がいくつあるの?」と思わず友人に質問してしまったが、京都にもキリスト信者は沢山いた。しかし、徳川家康の禁教令発布と共に1614年,迫害が開始され,京都ははじめに試練をうける場所となったそうだ。『ペトロ岐部と187殉教者』のうち,52名は京都の信徒。男子、26名、女子26名。そのうち子供が11名いたという。後約400年後の2008年に長崎において列福されている。
親切な方が,教会内の像やステンドグラスに関し、説明してくださった。ちなみに教会屋根の曲線は日本古来の神社様式を取り入れたもの。
その日も、9時半から友人と観光が始まった。
二条城~嵐山~今宮神社であぶり餅を食べ金閣寺へ移動~一度ホテルへ戻り、伏見稲荷へ・・・これまた、歩いた歩いた。
今宮神社は、平安京遷都後、京の都に蔓延した疫病を鎮めるため、朝廷が創建した社が起源とされているそうだ。お餅を親指大にちぎって、きな粉をまぶしそれを竹串にさして備長炭であぶり、焼き上がったお餅に京都の白みそをベースにした秘伝のタレにつけ10本セットで出てきたのが,これ!!
タイムスリップしたような風情ある店構え。友人が勝手知ったる家のように、店内をうろうろ動き,「昔からいらしたあのばあちゃん、どうされました?えっ死んだの~?!」と話していた。関東人だったら、聞くに聞けないことだな・・・笑
タイムスリップしたような風情ある店構え。友人が勝手知ったる家のように、店内をうろうろ動き,「昔からいらしたあのばあちゃん、どうされました?えっ死んだの~?!」と話していた。関東人だったら、聞くに聞けないことだな・・・笑
やはり、金閣寺は圧巻だった。
では、京都クイズ!
1.金閣寺はもともと誰が立てた建物だったでしょうかあ?
2.金閣寺は3階建てになっていますが,それぞれ異なる建築様式が用いられています。それぞれの様式を答えよ!
さすがに、外国育ちの日本の歴史を知らない子供たちには知らない問題だったな・・・。苦笑
伏見稲荷もすばらしかった。
「伏見稲荷ってお稲荷さんがおいしいところなの?」と長男。そうきたか・・・「じゃ、なんできつね?」
というわけで、調べてみた。「稲荷」とは、そのまま稲を荷うという意味で、五穀や食物を司る,農耕の神様らしい。全国に3万社以上あるといわれている稲荷神社の総本山がこの伏見稲荷大社で、和銅4年(711)2月7日初午の日に、秦公伊呂具(はたのきみいろく)によって創建されたと言われているそうだ。稲荷神の別名である「御食津神(みつけがみ)」の当て字に「三狐神」と書かれたことや,古代にあった「春に山の神が里に降りてきて田の神となり、秋に収穫が終ると山に帰る」という信仰から、山と里を行き来する狐の習性によって狐が「田の神様」とされた事が相まって、狐が稲荷の使いとされるようになったとも・・・。
何処へ行っても、中国人観光客が多かったが,なぜかここでは,中国人には会わず,イタリア人が多かった。なぜ???
それにしても、体力と気力も限界で、へろへろになってホテルへ戻った・・・。続く
http://www.tomoshibi.or.jp/




