十年前,義母が亡くなったとき,ちょうど夏休みで帰国中だったのだが、嫁同士で夫の実家の義母の遺品を片付けたが、やはり人間、いつ・何時、身に起こるかわからない。家の中はきちんとしておこうと思ったものだ。
帰国直前、とりあえず他人様に借りていた本は一度、返却した。借りたまま、返せなくなってしまうことがおきたとしたら申し訳ない。そして、寝室に山のようになっている毛糸のケースを数箱整理した。友人を介し、オラトリオに寄付したり、夏休み明けにも欲しいという友人にあげられるよう準備してあるが、まったく減っていない。それでも、いざ何かあったとき、そのままどこかに処分できるようには、まとめなおした。不要になった衣服などもすべて寄付にまわしてきた。
元をたどれば21年前,夫も私もスーツケースだけでイタリアにやってきた。航空便はもちろん、船便さえも利用していない。子供が一人増え、二人増え、ついに三人になってしまった。いずれにしても、どんだけ荷物があるのだろうか?そのうち、不用品は???恐ろしい・・・
ところで、聖書の中に、「自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」(ルカ6章33-34)という言葉がある。
ちなみに、マタイによる福音書6章にも似た内容が記されているが、マタイの方は「宝を積むな」と禁止命令になっているのに対し、ルカでは「売り払って施しなさい」とより積極的な善行を勧めているのが興味深い。もちろんマタイとルカとでは、語る相手の人たちが異なるから、という理由もあるが所詮、地上で得た富は死んだら、おしまい。日本では外国人を養子にするケースはまだまだ少ないが、相続税の節税のための養子縁組も少なくないというから驚いてしまう。まあ、我が家には、まったく縁のない話だが、それだけお金があるならば、どこか恵まれない国に、学校を建てたり、病院を建てるほうがずっと有効的な気がしてしまうのは、単なる僻み根性か?!笑
また、教会のバザーなどで家の不用品を出すと、不用品を他人様に売るのは失礼だ!という方もいらっしゃるが、自分が不要と思ったからといって、必ずしも他人様も不要と思うとは限らない。それを楽しみにしている人もいるし、毎年11月、ミラノで行われる北イタリア日本人会での催し・La Festaでは、フリー・マーケットを毎年楽しみにしているイタリア人客もかなりいる。そういう機会も利用しつつ、家にあるものを整理しなくっちゃ。
話は基、私自身、人生の折り返し地点をすぎ、もう少し、心身ともに身軽に生きられたら?と思う今日この頃。これ以上体重が減るのは困るのだが・・・両親を見ていて思うのは、父はどちらかというと、何事も抱え込む方で、逆に母はばんばん何でも切り捨てていく。私たちの帰国と共に、過去数年に買ったり、もらったりしたものの中で、不要なものを私にミラノに持って帰らないか?と押し付ける。笑 先日、私の20歳代前半に使っていたバッグが出てきた。もう使うことないし・・・というと、「あっ私、欲しい!」と長女。母から何点ももらっていたが、長女は整理できない症候群なので、結局私が、彼女のみてないところで片付けるという始末。
私自身の整理のため,また何かあったときに,他人様に迷惑をかけないため、また(家の中の)見た目の美しさのためにも、無駄なものは外に出さず、量をもたないようにしないといけない。それを常日頃キープするって大変なこと。ミラノへ発つ際、買わなくても,持っていかなくてもよさそうなものは持ち込まない。これ、いつか使う日が来るかも・・・という「いつか」という考えも捨てて行こう。
「断捨離」シンプルライフの基本として、整理整頓始めてみませんか。