パパ様ツイッター ~ 7月分 ① | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。


7月2日
Vivere come veri figli di Dio significa amare il prossimo e avvicinarsi a chi è solo e in difficoltà. 真の神の子として生きるということは、隣人を愛し、孤独で困難にいる人により添うことを意味します。


7月3日
Cari giovani, non rinunciate a sognare un mondo più giusto!
親愛なる若者の皆さん、より公正な世界を夢見ることをあきらめないでください。


7月8日
Con Dio nulla si perde, ma senza di Lui tutto è perduto.
神と共にいるならば、何も失うものはありません。けれど、神なしでは、すべてが失われます。


7月10日
Non temete di gettarvi fra le braccia di Dio: qualunque cosa vi chieda, vi ridonerà il centuplo.
神の両腕に身を投げることを恐れてはいけません。あなた方に求められることはどんなことでも、100倍となって戻ることでしょう。


7月12日
I Mondiali hanno fatto incontrare persone di diverse nazioni e religioni. Possa lo sport favorire sempre la cultura dell’incontro.
ワールドカップは、異なる国々と異なる宗教を持つ人々の出会いを可能にさせました。スポーツが常に出会いの文化を支援できますように。


7月15日
Cari giovani, non cadete nella mediocrità; la vita cristiana è fatta per grandi ideali. 若者の皆さん、凡人に陥らないで下さい。キリスト者の生活は大きな理想に向かうことです。


PapaFrancesco
‎‎‎‎‎‎‎‏@Pontifex_it 



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昨夜車でミラノの街中に出かける用事があった。夜の8ー9時台はまだ明るい。

ある通りの脇は小高い丘になっており、そこが歩道になっているのだが、はじからはじまで黒人男性でいっぱい。何かのメルカート?嫌、何かを広げている雰囲気はない。では彼らのミーティング・ポイントなのか?

今朝の新聞でその地域一帯は、アフリカからの不法入国者で溢れかえり、彼らはそこに寝泊まりしていると言うのだ。フランシスコ会は毎日500食の賄いを出していると言うが、それではとってもじゃないが足りないだろう。http://www.leggo.it/NEWS/MILANO/milano_porta_venezia_bivacchi_clandestini/notizie/796388.shtml

又先週、シリア人難民がミラノのあちこちに避難して来ており、衣服、特に下着類やシーツ類などが緊急に必要だときいたので、近所の人に声をかけ、物資を収拾し、直接避難所に持ち込んだ。とりあえず現在は、必要な物品は足りて着ているようだが、やはり炊き出しなど必要のようだ。

いまだに続々とシリア人難民が北イタリアに流れ込んできて、ミラノには1000人近いシリア人難民が到着しているという。ミラノの中央駅やら修道院、夏休みに入っている小学校の校舎などを開放し、滞在させているようだが、これはいつまで続くのだろう?援助もどこまでするべきか?年頃の子供たちへの教育は?

もっと、教区教会も敷地を開放すべきだとたたく人もいるが、実際、そこでどれだけのボランティアが集まり対応できるだろか?

とはいえ、イタリア自体の貧困さも深刻になってきている。最近の地下鉄での物乞いはロムだけではなく、イタリア人の老人まで増えて来ているのには驚いた。スーパーやメルカートでの万引きも、すぐに外国人のせいにされるが、実際には、イタリア人の若者か、年寄りが多いのだという。

人助けも、どこまで、どの範囲ですべきなのだろう?と常に思う。以前メキシコに出かけた際、物乞いの子供に少しのお金を渡したことがある。そうしたら、口笛を吹いた途端、あれよあれよと子供たちが、どこからともなく走りよってきた。「親切な人がいるよ!」とでもいったのだろうか?それとも「いいかもを見つけた!」か?思い切り追いかけられた経験がある。

Itamaの生徒たちも、親しくなれば、生活の苦しさや苦労を訴えてくる人も増えてきた。ある意味、それは信頼関係の結果かもしれないが、どこまで手助けすべきなのか?洋服や不要のおもちゃを回してあげることは可能だが、それ以上は実際問題難しい。仕事も何かあれば紹介して、といろいろな外国人に聞かれるが、そう簡単にはない。

それとは逆に以前、ユニセフの寄付を各家庭に依頼してきているものがいた。「一日コーヒー一杯分で人が助けられます。」でも実際、他のことで支援してますから、というと、「コーヒー一杯さえも寄付できないのか?」と攻められた。お金の問題ではない。アレもこれも・・・といっていて、すべてに手を出せるわけでもなく、世界を救えるわけでもない。

ある意味、自分の限界というのをわきまえるべきなのだと思う。大切なものを守るために、真実に基づいて、今出来ないことには『ノー』という勇気も大切。

とはいえ、自分の『使命』はなんだろう?使命を果たすこととは?神様にふれることによって、本当に行わなければならないことが見えてくるのだと思いつつ、迷うものもある。

いつも最高のものに向かって生きていきたいものです。


http://www.leggo.it/NEWS/ECONOMIA/istat_allarme_povert_amp_agrave_10_milioni_italia/notizie/797222.shtml