オラトリオがついに終了してしまった。
あっという間の4週間だった。
あんなに通うのを嫌がっていた次男は、初日から「来年も行く!」といっていたが、最終日のお迎えの日も、再び「来年も行く!」と言っていたくらい楽しかったようだ。
朝9時に入り、5時15分のお迎え。週に1回遠足があり、プールにも連れて行ってもらい、最終週はリグリアの海まで連れて行ってもらった。
帰ってきて、夕食を食べ気付くとソファで爆睡。現地校が夏休みになっても、補習校が先週まであったので、宿題は少しずつでも毎日しないといけない。それなのに、ほとんどためてしまい、当日の朝にまとめてやる始末。充実しつつも、本当に疲れていた様子。笑
もともと浅黒いところ、更に陽に焼け、フィリピン人や南米人と一緒にいたら、まったく国籍がわからないくらい。同じような体型のフィリピン人と次男のめがねと彼の帽子を交換し、お互いが相手になりきって過ごした日もあったそうだ。(何を考えているのやら・・)
ところで、オラトリオ、つまり「教会学校」といえば、健全?なイメージがあるかもしれないが、ミラノのオラトリオの場合、場所にもよるが、少なくとも、近所の場合、行く場所のない、暇をもてあましている子の溜まり場のようで、我が家の長女、長男は行かせるのが嫌だった。多くの男女が、タバコを吸い、モヒカン(チック)ヘア、キャップ、腰までパンツを下ろし、平気で下着を見せているようなスタイルの中高生男児(イタリア人よりも南米系が多い)に、非常に嫌悪感を感じていた。しかも、ミサに来ていても、固まって私語、笑い声が多く、なぜ誰も注意しないのか?嫌で嫌でたまらなかった。
夏休みに入り、長女、長男が進級保留となり補習授業の日々。本来いきたかったタイ旅行もとりやめ。じゃあ次男をどうするか?場所や値段が気に入るサマー・キャンプはなし。昨年まで長男の通っている野球クラブのサマーキャンプに入れていたが、今年は行きたくないと言われてしまい、さあ困った、困った・・・。
灯台下暗し。自分の通っているパロッキアのオラトリオなんぞ考えたことがなかった。私自身の偏見、思い込みが強かったからかもしれない。
オラトリオが始まってすぐに、次男は、君のお姉ちゃん知ってるよ。お兄ちゃんのこと知ってるよ。といろいろと声をかけられたようだ。次男は、人見知りをし、外では猫をかぶっており、地を出すまで時間がかなりかかる。それでも、慣れてしまうと、はめを外しがちで、心無い大人の一言で、傷つくことも多い。
学校の先生でも、ちょっとした場面だけで、状況を知ろうともせず、頭から怒ることも多かった。人間要領のよさだけが重要ですか?と思うことも多かった。もちろん、私がラボラトリオなどでオラトリオへ出かける際、アシスタントの大人や学生に怒鳴られている場面もよく見かけて、とほほ・・・とも思ったが、公平且つ寛大に受け入れてくれる仲間たちに心を開いた様子だった。
行き場のないように見えた若者たちも、そうやって受け入れてくれて徐々に心開いていくのかもしれない。ある時、ミサで見かけた若者で、この子はもしや、怒り?または不満?を抑えきれないのだろうか?という子がいたが、別人のように明るく、よーく小さい子達の面倒を見ていた。自分の兄弟、姉妹とは別の小さい子の面倒をみたり、一緒に時を過ごすことは、本人にとってもよい経験になるはずだ。長女、長男にもオラトリオでアニマトーレ(青年リーダーのようなアシスタント)をやってごらんよ、といってもそんなのあーだ、こーだとけちをつけていたが、やはりこれまた偏見で、外から見るのと、中に入ってみるのはまったく違うと思った。
ちなみにこのアニマトーレだが、ラテン語のanimus とギリシャ語の ànemos(「ひと吹きの風」「呼吸」が本来の意味で、イタリア語では、animaは、主に人間や動物の「霊魂」「生命」そのものを指し、animoは、特に、人間の知性、意志、感情の表れとしての「魂の働き」つまり「心」を表す。したがって、animatore(女性はanimatorice)は生気(活気)を与える人、鼓舞する人、盛り上げ役などの意味がある。そして、アニメ、アニメーションも生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味しているようだ。
今まで、人種の坩堝の町、このミラノで、多人種、多文化が融合するようにと願っていたが、心のどこかに偏見がある自分に戸惑いを感じた。それでも、子供を通じ、そして心の教育を通じ、人格的なふれあいができるのだと確認した。(もちろん、全員と、というわけではなかったが)
ところで、なぜかオラトリオは歌って踊ることが多い。毎年テーマがあって、どこのオラトリオでも同じ曲を歌い踊るが、過去のテーマにも触れたようで、私の知っている曲もあったようだ。
最終週には、さすがに、海や山に出かける家庭も増え、参加者がぐっと減ったが、最終日の夜にフェスタが催された。残った子供たちと共にアニマト-レによる歌とダンスが披露された。下記2曲は次男もよく家で踊っていたっけ 。
「Soku Bate Vira」
https://www.youtube.com/watch?v=OfJss-nviEk
今年のオラトリオのテーマ「Piano Terra」
https://www.youtube.com/watch?v=-Yxe927CsqU
4色に分かれたチームは、その色のTシャツが配られ、毎晩洗っては、毎日着て出かけていた。映画「ハリー・ポッター」では、寮ごとに名前があって、何かと点数を競うシーンがあったが、オラトリオでもチームごとの競争があり、最終日に発表された。まあ、どうでもええやん?!という気もしたが、子供たちは必死。ずっと一位の座を護ってきた次男のいるVerde(緑)チームは、最終日、宝探しゲームで最下位に脱落。それでも皆楽しそうだった。
最後は、パロッキアで準備したスイカやケーキと飲み物でお開き。私もグジェを50個焼いて持っていった。人手が足りず、サーヴする手伝いに入った分、沢山の子供たちから声をかけられた。「折紙のシニョーラ」と呼ばれたり、「Ti voglio bene!!」大好き~なんていって、抱きついてきたお兄ちゃんあり。心のふれあいを感じた。
ところで、最近、Michelle WilliamsとBeyonce、Kelly Rowlandの「Say Yes」という曲がリリースされたが、もとは、ナイジェリアのゴスペル・グループの『When Jesus Say Yes』という曲のカバーだそうだ。
https://www.youtube.com/watch?v=v-4PngwwcWU
When Jesus say yes, nobody can say no
イエス・キリストが「イエス」という時、誰も「ノー」とはいえない。
上記フレーズがなかなか頭から離れない。神に信頼をし、恐れることなく、前に進んでいく。
私たちは、生きているけれど、実際には「生かされて」おり、それは日々の生活の中で、人に愛される、大切にされていることに気付くことによって、成長していけるのではないだろうか?
愛も祈りも目には見えない。そのいずれも、お金では買えない大切なもの。生きづらいこの世の中、周囲を少しでも灯し、笑顔で生きられればどんなにすばらしいだろう。オラトリオでの4週間は、母子共に貴重な体験だった。
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11880481675.html
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11884280111.html

