今朝地元パロッキア(小教区教会)の堅信式があった。
「堅信」とは「洗礼」をはじめ、7つの秘蹟のひとつであり、堅信は更なる恵みを与え、個人の魂を神と結びつけるものと考えられている。
この秘蹟を受ける信者は、教理をよく学び、聖霊の賜物を祈り求めなければならない。多くのイタリア人カトリック信者は、子供に乳児洗礼を与えるが、小学校3年(8歳)の時点で、教会でカテキズモと呼ばれる教理を学び始める。2年後に初聖体、さらにその2年後に堅信を受けさせるところもあれば、私のパロッキアは、4年間教理を学び、初聖体と堅信を、長女のように、洗礼をうけていなかったものは、同日に、洗礼・初聖体・堅信をうけるというシステム。 今年度から教理を学ぶカテキズモの年齢が1年前倒しになり、小2の7歳からとなった。個人的には、はやく堅信をうけることで、教会離れが早くならないかちょっと不安な面もある。
ところで、カトリック教会では、この堅信を授けられるのは、司教の権能とされている。ミラノ教区では、復活祭後、どの教会も堅信式を行うが、何せミラノ教区にいる司教がすべての堅信式を司式しなければならないので、師走のごとく師(司教)は走り回るようだ。笑
そして、毎年6月2日の共和国記念日の祝日にサン・シーロ競技場にて堅信者(クレジマンディ)のお祝いがスコラ大司教により執り行われる。考えてみれば、2年前、この時期、ミラノでカトリックの世界大会が行われており、フル にボランティアに参加していたことを思い出した。(実際、今朝、当時のボランティアのメンバーから挨拶のメールが回っていた)クレジマンディのお祝いには、朝6時から借り出され、前教皇の入場のために人間バリケートとなったんだわ。笑
そして、毎年6月2日の共和国記念日の祝日にサン・シーロ競技場にて堅信者(クレジマンディ)のお祝いがスコラ大司教により執り行われる。考えてみれば、2年前、この時期、ミラノでカトリックの世界大会が行われており、フル にボランティアに参加していたことを思い出した。(実際、今朝、当時のボランティアのメンバーから挨拶のメールが回っていた)クレジマンディのお祝いには、朝6時から借り出され、前教皇の入場のために人間バリケートとなったんだわ。笑
話は基、今朝の堅信式のために、聖歌隊は、先週のコンサートとあわせて、聖歌の練習をしてきた。昨夜も最後の練習が夜の9時から。もう5月は教会行事が夜に多すぎて正直いってふらふら。落ち着くまであともうちょっと・・・といった感じ。
そして、肝心なミサはミラノ大司教区の司教総代理が司式だった。
40名の生徒たちが堅信の儀式を受けた。そのうち3人が受洗。イブライム、シャイマー。国籍はどこだったのだろう?アラブ系の名前だったので気になった。奉献には、民族衣装を着た、スリランカ人やエチオピア人の保護者も見かけた。
お説教は、堅信を受け、今後いかに「幸福感」をもって生きるかという話だった。神に愛されているという恵み、そして人を愛する努力を惜しまないこと。これが、幸福感を持ち続け生きるレシピの2つだとおっしゃる。
まさに、それを信じ生きること、証すことが、信者の使命、生き方だろう。納得。
今日は聖歌も含め、すべてがうまくいった。普通、初聖体、堅信式というと、親類の会合の場で、おしゃべりやら人の出入りをうっとうしく感じるが、ミサ前にロザリオを唱えたり、いいごミサだった。
1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録2:1-4)
聖霊よ、来てください。すべての人が、言語や文化の違いを神の恵みの豊か さとして認め合い、世界の一致と平和のために、協力していくことができますように。
